白 樺
江原道が思ったよりも近くなった。 新聞で江原道に“자작나무 白樺”の森があるという記事を何度か見ても、遠すぎてどうにもならないと思っていたが、その森があるという麟蹄郡に行ってみると、二時間半ほどの日帰りコースだった。
白樺との縁は古い。 ニューヨーク北部のオンタリオ湖の前オスウィーゴ Oswegoで息子を産んだころ、母が遠路はるばる韓国からやってきて、毎日周りの山や湖と美しい景観をわがもののように自慢していた。
寒いところでだけ育つ白樺を韓国では見たことがなかったが、ソウルから来た母が走る車の後部座席で次々に山上に現れる白い木々を見て、心から懐かしそうに「しらかば、しらかば~」と歌うので、それが“자작나무 白樺”の日本語であることを知った。
終日白樺を見、大きな湖がある洞窟の水を見たせいか、その日の夜には巨大な水の夢をみた。そして翌日の早朝、息子を産んだ五大湖の前の紅葉が実に美しかったことを昨日のことのように記憶している。
2009年に文化チームとバイカル湖を訪れたことがある。 韓民族の始原であるというブリヤート共和国のバイカル湖は世界で最も深く最も大きな淡水湖としても有名だが、そこには白樺の森が果てしなく広がっていた。
白樺のシベリアをバスで走りながら母のことが思い出されたが、私の後に座った建築家の一行が、「ところで“자작나무”は日本語で何と言ったっけ」と誰にともなく聞くので、初対面ではあったが誰も答える人がないので「しらかばでしょ」と言うと、非常に驚いた様子でしばらく後に「またお若いのにどうして“しらかば”を」を尋ねるので、笑いながら母の思い出を語ると、母の伝記を読んだというウォン・ジョンス、イ・サンスン両先生が驚いて、本当に孫戸妍歌人のオリジナルの娘さんですかと問いながら、母の甕置き台の短歌を暗誦してみせたので、今度はこちらが驚かされた。
後に鐘路区弼雲洞90番地の“孫戸妍歌人の家”を訪れて感激してくださったが、高級文化クラブの名前が“しらかば”だと言って、私に“しらかば”を号にするのはどうかとおっしゃった。
バイカル湖を主題とした詩集を出したことが縁となり、同国政府の招請で再訪した際にも白樺の森を感慨深く歩いた。
これらの縁のある자작나무、白樺の森が韓国にもあろうとは。 遠国にしかないと思っていた白樺の森の雄大なスケールに驚き、その白い幹はどこでも見たことがないほど霞みがかった乳白色で高級感があり、シンデレラの森の中にでも迷い込んだような神秘な夢のようだった。
四十年前に植えたものがこうして大きく育ち幻想となった。 自然に育ったわけではないはずだ。
木を育て森を造成するのにも人を育てるように数十年もかかるとは、自然と頭がさがる。隠された大きな宝物を見つけた気分だ。
この素晴らしい企画と、木々を育てた人々に感謝しながら、春夏秋冬と変化するその世界を感じてみたい。
与えようとする 知恵をないがしろにした 切実に必要なそのとき そばにいない母
白い白樺の森なのに
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