tahiti women on the beach 1923
2013 9 1
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
夏の避暑には美術館がうってつけだ。
そこで私は徳壽宮の近所と貞洞にわざわざ用事をつくり、この暑さの中、二度も私立美術館を訪ねた。
理由はそればかりではない。
私がワシントンのジョージタウン大学に留学したとき、最初に着いたニューヨークの近代美術館でゴッホの『星月夜 Starry Night』とともに私に大きな印象を与えた絵がゴーギャンの『タヒチの女たち Tahiti Woman』だが、その絵が来ているのだ。
教科書で見た印象派の絵を初めて目にすることができたが、その色彩は非常に印象的だった。前を向き私を見つめるようなタヒチという異国の女人の豊かな姿は情愛にあふれていた。
その後もワシントンとは別のいくつかの場所で見る機会があり、2年前にも東京で長い列に並んで再会した。名作は飽きることがない。
私が長く住んだワシントンの国立美術館 National Gallery of Art は、アメリカでも唯一入場料のない美術館で、幼い息子とよく見に行き親しんだ。
そこに住んでいる韓国人を全く見かけることがなかったので、なにかしら文章を書くごとに、子供たちと一緒に美術館に出かけ、鑑賞し、大人になったらお金持ちや大統領になるという子供たちばかりを育てるのはやめて、こういう偉大な画家や芸術家が出るようにしましょうと訴えたことを思い出す。
ソウルでゴーギャンを観るのは初めてのことだ。しかも、彼の三大傑作の揃い踏みは本当に稀なことだ。私が帰国後初めてソウルに来たときには、こうした展示会が催されたことがなく残念に思ったものだが、何年か前からは主に学生の夏休みや冬休みに合わせて、世界的な展示会が催されるようになり嬉しい。
タヒチの女たちの前に立つ。
彼女は一目で私を見抜く。
三十年以上前の初めての出会いの時から、常に私のありさまと心を見続けてきたように、すべて知っているという表情だ。隠すことなどできない。
環境の変化、転んでは起き、そのたびに心は揺れ、これまでどれほど多くのことがあっただろう。長い付き合いの友へ私も微笑みかける。
ボストン美術館の所蔵であるゴーギャンの畢生の大作『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか Where did we come from and what are we and where do we go to』は、太古の昔から今にいたるまで誰もが胸の奥深くに持っているその問いを、ポール・ゴーギャンは横4メートルにもなる長い絵で創造した。
誕生から死まで、彼の人生にかかわったたくさんの人物が登場し、彼の哲学と信仰が込められた名作だ。人間のつくるどんなものも、油絵さえも千年を越えることはできないが、こういう人類の資産はどんなことをしてでも保存されるだろうという望みを持つ。
マルク・シャガールも描いた『黄色いキリスト The Yellow Christ』と彼の自画像の前にも立ってみる。
多くの芸術家がそうだったように、彼も厳しい苦難と苦痛の時代を経て人類の偉大なる画家の列に伍したが、死後百年も経ってから、彼が来てみもしなかった遠く小さな国のこんなにもたくさんの人間が、この暑い日にその魂が宿った作品の前に立っていることを彼は今知っているのだろうか。生きていたとして予想できただろうか。
そして、ふと、比較的大きな不幸もなく無難に世の中を生きるのと、数え切れない困難をへて死後に人類にこんなにも大きな霊感と慰めと喜びを与えることの、どちらが人間にとってより望ましいことだろうかと、彼の自画像の前でしばし考えた。
まるで、選びさえすればそのような人生を生きられるかのように。
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々がどこへ行くのか
人類の疑問を
絵で問う
決して死なないその魂と息吹
問いきれなかったその問いに
答えが与えられるまで
ポール・ゴーギャン
長々と繰り広げられるその巡礼
ポール・ゴーギャン畢生の大作 - 『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』
Yellow Christ 와 Paul Gauguin
ソウルに来た『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』と、140cm x 4m - 2013 8