ハンギョレ新聞 2013 5 7
[この人] 日韓の葛藤を越えて芸術で傷跡を癒す
国籍を越え、心を分け合う李承信詩人と遠藤教授
李承信詩人、東北大震災を慰労する短歌集を出版
遠藤教授、『評伝 洪蘭坡』を出版して再照明
詩と歌をやりとりしながら両国の情緒を理解
桜の花びらが白く舞う5月3日、ソウル西村の“芸術空間 THE SOHO”にて、韓国と日本の女性芸術家二人が特別な縁により出会った。THE SOHOの館長として、最近日本の伝統詩である短歌集を出した韓国人、李承信(右)詩人と、韓国の近代音楽家洪蘭坡を扱った『鳳仙花-評伝 洪蘭坡』の著者である日本人声楽家兼音大(盛岡大学)教授の遠藤喜美子氏がその主人公だ。
二人は去る3月東京外信記者クラブFCCJにて開かれた李承信詩人の詩集出版記念会で初めて出会った。韓国人唯一の短歌歌人として日本人に深く愛された孫戸妍1923~2003歌人の長女である李承信氏は、二年前の東北大震災の惨状を見つめいくつかの短詩を書いた。これが当時の日韓両国のメディアに紹介され大きな反響を得たことを契機とし、200余偏の短詩を集めた詩集が昨年日韓両国で出版された。『君の心で花が咲く』(日本)と『花だけの春などあろうはずもなし』(韓国)がそれだ。
大震災二周忌に際し、日本で開かれた李承信詩人の出版記念会には、天皇陛下の短歌の師である中西進前京都芸術大学総長と韓昇州前外交長官をはじめ、杉山晋輔外務省アジア大洋州局長、申珏秀駐日韓国大使、武藤正敏前駐韓日本大使等、数百名が参席し、長蛇をなして著者と挨拶を交わそうとして話題になった。
そのとき感動して列にならび李詩人のサインを受け取った遠藤教授は、李詩人の母である孫戸妍歌人とその生前から親交のあった縁とともに、自身の著書である『鳳仙花-評伝 洪蘭坡』をお返しとしてプレゼントした。その遠藤教授が1984年に建てられた檀国大学の‘蘭坡記念音楽館’と‘蘭坡遺品・記念館’を見るために訪韓した際に、李詩人を訪ねたのだ。
遠藤教授は1990年代後半、アジア音楽比較研究をする中で母校(東京高等音楽学院・現東京国立音楽大学)の先輩であり、朝鮮近代音楽の先駆者である洪蘭坡を発見し、3年間韓国の生家にて踏査等を行い資料を調査し『評伝 洪蘭坡』を出版した。特に東京国立音楽大学の地下書庫に30年以上も埋もれていた学籍簿を探し出した。そのとき発見された蘭坡の自筆入学願書と演奏活動記録は、それまで不分明だった蘭坡の音楽履歴と日本との関係を確認しえる重要な研究成果として認められている。
昨年10年ぶりに出した改訂版は、最近日本の図書新聞と文部省の推薦図書に選ばれ、新たに脚光を浴びている。
「日帝時代の苦難の後遺症で44歳の若さで世を去り、開放以後ずっと民族音楽家として敬われていたのに、2008年に親日人名辞典候補にのぼり指弾されたのを見て胸が痛かった」遠藤教授は2009年に遺族の提訴の末に親日半民族行為真相究明委員会の名簿から蘭坡の名前が削られた過程を思い返し、蘭坡の人生と音楽に再び照明が当てられることを願ったと強調した。
「母である歌人の孫戸妍は生涯をこの古家にて珠玉のような短歌をつくり、“無窮花(むくげ:韓国の国花)”を全ての歌集のタイトルにするほどに国とその文化を愛していました。短歌をつくったのも、日本国民に韓国の情緒と日本帝国主義時代に韓国と韓国人が受けた苦痛をしっかりと理解させようとする心から出たものでもあります」
1996年の道路編入のためつぶされた韓屋のあった場所に“芸術空間 THE SOHO”を建て、母の作品を余すところなく展示している李詩人は、この日遠藤教授に親子詩人の家にまつわる顛末を聞かせた。
涙を浮かべながら孫戸妍歌人の作品に感激した遠藤教授は、サロン音楽界が開かれる‘孫戸妍、李承信親子詩人の家’で即席で日本歌曲‘初恋’を無演奏で李詩人に聞かせ、感動をかきたてもした。
国境を越えた美しい感動の出会いだ。