長い冬だった。
四月も終わろうとしているのに、なお寒気が去らない。昨年の夏、あまりの暑さに早く過ぎ去ってほしいと切に待ち焦がれたのが、この長い寒さだったというのだろうか。加えて、沈滞気味の景気と執拗なまでの北朝鮮の脅迫性グローバルニュース、そしてそれぞれが負うべき悩みまで考えれば、まったくこの寒気は長かったとしか言いようがない。
それだけでも私たちが花見に赴く十分な理由になるというものだ。しかし、いつも時間と心の余裕が十分でないように感じられるのはなぜだろうか。
そんなとき、ふと思い出す母の短歌
後十年生きるとしても櫻花ただ十回の花見とならむ
この短歌を詠んでから二回の花見を経て母は逝った。十回でも少ないと思わされるが、この世の桜をさらに二回見たのだ。そう。それはどうあろうと花見に行かなければならない理由となった。
京都の読者の集いに行くことにし、芸術をもってしても醸しえない高台寺のあの一本の桜木の労苦を見なければならないと思った。
ところが、行って見ると昨年は同じ時期に見られた京都の桜が、今年は一週間早く咲きすべて散ってしまっていた。花が散り、葉だけとなってしまっていて失望したが、数多い桜の中にはまだ私を待ってくれているものがあるかもしれないと気を持ち直した。
いつも泊まる高台寺前の旅館に部屋がなく、少し離れた古城の前に荷をほどいた。そして、まだ桜が残っていそうなところから訪ねてみたが、やはり皆散ってしまっていた。朝ごはんを買って道を渡り、古城へと引き返した。
京都が日本の都だった頃、天皇の御所として凄まじく広く、市民にも無料公開されている。期待もせずに訪ねたのに、なんということだろう。奥深くに進みいると、いまだに一叢の桜が咲いていた。長く垂れ下がった枝垂柳のような桜、枝垂桜が風にさやさやとゆれ、さあおいでと手招いている。わあ、この深い桜色の絵の具はどこから降りてきたものだろう。
動くことのできない植物をいつも可愛そうに思っていた。しかし、その長く無数の枝でおもいきり舞う姿はまぶしいほどに自由な動きだった。
何人かの観光客が賛辞をおくった。あふれる感嘆詞が空気を伝って私の耳に聞こえ、桜をいっそう美しくする。そのうちの一本が特に目を引いた。20余メータの高さに太さも15メーター以上になり、地を覆いつくすように舞う姿は驚異的でさえあった。数百万輪、いや数億を越えるような濃いピンクの生命は神秘的だった。
昨年の花びらはすべてふるい落とされ、私たちは桜のことを完全に忘れたのに、桜はその生命の作業を休みなく繰り返し、今こうして私の前にその生命の光を燦爛と見せつけているのだ。この偉大な作品を見てあげなかったら、桜の気持ちはどうだろうか。
何度も見て頭の中にたっぷりと記憶しても、どれほども経たずに私たちはまた桜のことを忘れるだろう。踵をかえしてそこを出ながらも、名残惜しくて振り返ったとき、そのときになって初めて私の目に入ってきたものがある。誰もが、そして私もピンクの光の滝のごとく降り落ちる、その華麗にきらめく花びらたちだけを見つめていた。ところが、なんということだろう。
花びらに隠れてよく見えないところに、花を咲かせ支える真っ黒な木の幹があった。全体が傷だらけで胴体のあちこちが裂けていた。そのようにして億万輪の偉大な作品を力を尽くして支え上げていた。
ああ、そうか。私たちだけに長い冬があったのではなかったのだ。ピンクの光とは全く程遠い幹のその中で、あんなにも美しい花房を咲かせ、そんなにも耐え、そんなにも待ち、そんなにも犠牲になってきたのだ。不憫ながらも胸が締めつけられる偉大な姿だった。
私は走って引き返し、その桜を抱いた。
誰もが恍惚としたピンク色の花びらだけを見ていた。
静かに水面に浮かぶために
休みなく足をかき続けるカモのように
そこに数知れぬ花房が
薄紅色に輝く星として咲き悠々と舞っていた
傷ついた体
土の中に足を埋め
慰めのようにそうして立っていた
さくら