2012 10 17
アボジ父
10万人が集まったというPSYの公演に行ってきた。
新顔のスタッフが雰囲気を知りたいからといって道を尋ねるので、散歩をかねて近道を案内したが、急の電話で彼は帰ることになり、私は予定にもなくその人波の中に取り残されることになった。
2002年のワールドカップのときには、予想外の善戦に試合が延長になると、その結果を確認してようやく家路につくために散らばりながら歩く群衆を見たし、ロウソクデモ等の度が過ぎた集会を見もしたが、その途方もない人波に加わったのは初めてだ。
上の写真の左側、徳壽宮よりの中央部に立てられた黒い映像装置の一番前が私の席だった。
ステージがどこかもわからないまま二時間近くが過ぎ、夜10時になってついに大音響とともに何かが始まったようだが、巨大な映像装置のすぐ前にいる私にはよく見えもしなければ聞こえもしなかった。それでもその瞬間にうきうきとし、踊り歌い肩を波打たせた。
流行の早いテンポの曲が流れ、今日集まった人数がギネスブックに載るのだという声が聞こえてきた。そして世界を魅了した‘江南スタイル’に全ての人々が熱狂した。口々に歌っているが、あまりに騒がしくて歌詞を聞きたかったのに何を歌っているのかわからず、聞き取れないたびに傍らの若い男女のカップルに尋ねなければならなかった。ときどき夜空に花火が打ち上げられた。
その前日、アメリカのインタビューにおけるPSYの言葉を思い出し、私がアメリカにいたころ世界を熱狂させたマイクル・ジャクソンのムーン・ウォークも思い出された。一個人のセンスとエネルギーがこんなにも周囲に、世界に広がるということが不思議だった。
大音響が轟き、抜け出すこともできなかった。どうしてこの手のレパートリーだらけなのかと考えていたところへ、どうしたわけか落ち着いた叙情的で感性的な一曲が流れた。
その歌詞が気になりながらも、私は再び散らばる群集の中をかきわけ、抜け出し、家に着いてからようやくPSYの‘アボジ父’を聴いた
~
父さん 今になってわかったよ
どうしてそんなふうに生きてきたのか
もうこれ以上寂しがらないで
これからはおれと一緒に歩こう
なあ お前 いつの間にかこんなにも時は流れて
一番上はもう働き、二番目は大学に
家族みんなでいたいけれど
父親だけに口には出しづらいな
歳月の定めなさに涙が溜まり
子どもたちは忙しそうだし あ~あ
散歩でもしようや、お前
父さん 今こそわかったよ
どうしてそんなふうに生きてきたのか
もうこれ以上寂しがらないで
これからはおれと一緒に行こう
父さんについて行くよ
~
皆は馬ダンスに浮かれていたが、その日の夜
私はこの歌のために幸せだった
こんなにも早く逝く人に
心を尽くすべきではなかった
ああ 父よ
李承信
そこには息子が音楽の道へ進むのを反対したPSYのアボジがいた。
こんなにも会いたい私の父は、今ごろどこで私を見守っているのだろう
PSYの‘アボジ 父’の歌詞にはちょっと手を入れました ~^^