カルチャーエッセイ

본문

西村 ソチョン

  • 비추천 0
  • 추천 0
  • 2014.12.09 00:55

 

 

    映画‘建築学概論’初恋シーンの韓屋                                                                            2014  11  15 

                              


西村 ソチョン 物語

 

 


西村(ソチョン)は私の故郷だ。

私の本籍、現住所とも鐘路区 弼雲洞 90となっている。

アメリカに留学して滞在20余年の間、常に慕い続けてきたのもこの町だ。

 

景福宮の西側なので西村と呼ばれもするが、仁王山の旧名が西山なので、その山裾にあるこの町を西村と呼ばれるようになり、世宗大王が生まれたところでもあるので世宗村と呼ばれもする。

 

昔から景福宮のそばにある町で、両班、学者、文人、芸術家たちが多く住み、六十余年前私たち一家がここへ来たときも、ゆったりとしてとても住みやすい住宅街だった。

 

昔ながらの路地が迷路のように入り組んでどこにでも通じ、通仁市場と禁泉橋市場という二つの伝統市場があり、社稷公園と射的場、子ども図書館、鐘路図書館、由緒ある景福高校、京畿産高校、培花女子高、培花大学があり、何よりもその西側を長々と仁王山が支えている。ソウルの中心地でありながら、少し奥にあるのでひっそりとした静けさが漂う。

 

しかし、アメリカから帰国してみると、よりよい進学校やら高騰した不動産価格やらのために多くの人々が江南に移っていってしまった。彼らの去った後ここは、ソウルの中心地であるにもかかわらず地価がガタ落ちし、庶民の町となった。私には三百年を越える由緒ある大きな韓屋にひとり残って、なすすべもなく寒さに震えている母が歯がゆくさえあった。

 

それからまた長い歳月が過ぎた今、信じられないことが起きている。楼上洞の道に沿って上ってゆくと現れる水聲洞の渓谷が、何年間かの工事のすえ謙齋鄭が描いた本来の水聲渓谷として復元されて水が流れるようになり、江南のアパートがいいといって去ってしまった人々が、数十年を経て再びこの古い町がいいといって舞い戻りはじめた。

 

文学、芸術、建築、その他多様な文化と路地、多彩な食べ物がよみがえり、西村に商店が立ち並び始めた。出戻りの人々だけでなく、出版社、映画社、ギャラリー、ファッション、レストラン等が入ってきて、通仁市場には人々があふれている。

 

短歌の大家として早くから隣国に認められた母、私は母が間違っていたと思っていたが、正しいのは母だった。少なくとも李氏朝鮮時代を経たこの町と、愛と魂が宿る家をどうしても捨てるに捨てられず、寒くても寂しくてもひとり耐えしのんだ母が正しかったことを悟ったのは、その死後ずいぶん経ってからのことだ。

 

ここには歌人孫戸妍をはじめ、偉大な詩人である李箱、尹東柱、幼い頃にみた天命や小説家春園李光洙の痕跡が生きており、李氏朝鮮時代の有名な画家謙齋鄭だけでなく、李象範画伯や朴魯壽画伯、母がその家で金鶏という絵を直接買った千鏡子画伯もいる。また、平壌でともにバイオリンを奏でた父李允模を弼雲洞の家まで訪ねて来られた歌曲가고파(カゴパ、行きたいの意)の作曲家金東振先生も、二〇〇九年に九十七歳でお亡くなりになるまで楼上洞におられ、毎朝わが家の前を足早に散歩なさる姿を拝見した。

 

ソウルの奥に隠れていた宝石西村探訪が始まり孫戸妍・李承信親子詩人の家はもちろん、李箱の家、尹東柱の下宿先、朴魯壽美術館、映画建築学概論でソヨンとスンミンの初恋シーンを撮った楼上洞の韓屋、中古書籍が全く売れないのに六十三年もの歴史をもつデオ書店、五十年間代々台湾人がジャジャン麺を作り続けてきた永和楼、大統領がその任期中庶民の同情をひくために名節には必ず立ち寄る通仁市場の歴史、そして水聲洞渓谷の蒼々とした自然を巡る。

 

この町に長く住む唯一の詩人となった私は、高層建築物と規格アパートにそろそろ飽きがきた人々がここへ来たら、他人の国を観光するようになまかじりに終わることのないよう、隅々に隠された感動の歴史とヒューマンストーリーを教えてあげ、ちょっとでも元気になってほしいと思う。

 

洗練とまではいかず、田舎っぽくもあり、お人好しのようでも、情にみちた町だ。

 

ワシントン、ニューヨークでの暮らしで祖国を懐かしむ言葉と文章をたくさん書き連ねてきたが、帰国してみれば、本当に懐かしんでいたのは幼い頃から育ってきたこの町だった。

 

ここが北村のように産業化されるだけでなく、細かくはりめぐらされた路地に人の暮らしの匂いが満ち、仁王山の精気、祖先たちの魂、芸術の香りがあふれる、ソウルの代表的な品格ある町として末永く保存されることを私は願う。世の中がどれだけ移り変わったとしても、そういう町のひとつぐらいは国の自尊心としてなければならない。

 

皆が立ち去ってしまっても、都市開発による道路拡張のため数百年の由緒ある自身の古宅がフォークレインでばっさり切り取られてしまっても、さっさと乗り換えることをせず大損をしても、その歴史の価値と愛と魂を黙々と守り、生涯一軒家で一行の詩にそれを表現し続けてきた母を思いつつ路地道をゆけば、たとえようもなく懐かしく、ただただ有難い。

 

            

若き日に移り来し家去りがたし家の隅々亡夫の面影

                                                                                         

                                                                                孫戸妍

           

           

 

 

詩人李箱の家  -  2014  10  28

   

六十三年の歴史をもつデオ書店  -  2014  10  28

 

いつも長蛇の列をなす町内のパン屋  -  2014 10 31

 

昔のゲームセンターが西村紹介所となったオクイン商店


通仁市場と油トッポギ  -  2014  11  9

 

‘孫戸妍・李承信親子詩人の家’ 弼雲洞 90  -  2014  6

 

 







추천 0 비추천 0

트위터 페이스북 미투데이 다음요즘 싸이공감 네이트온 쪽지 구글 북마크 네이버 북마크

댓글목록


회원로그인
회원가입     아이디/비번 찾기