ロダンの作品‘バルザック’ Paris 2014 7 26
人生は短し芸術は長し
サッシェ(Sashe)にはフランスを代表する大文豪バルザック(Balzac 1799-1850)が一時期文章を熱情的に書いた城がある。
印刷所と不動産投資の失敗で生じた多額の借金のため、その城に隠れて毎週、毎月信じられないほどの量の原稿を追われるようにして書き続けなければならなかった。それを見ると、神はそうまでしてでもひとりの人間の才能を最大限に引き出そうとしているのではないかと思われてくる。
大きな庭園があり、直筆原稿と寝室、美しい庭園を見下ろすガラス窓のそばには原稿を書くのに彼が使った机と椅子があり、彼を描いた絵とその頭像をつくった現代彫刻家の真っ黒で硬い鉄の彫刻が城の4階に展示されていた。彼が原稿を書いた机の前の椅子にしばし腰をおろすことにした。
特に彼のベッドはとても興味深い。壁には十字架がかけられ、ベートーベンスタイルの長髪と荒々しく太い線の特色ある顔の頭像とは対照的な短いベッドなので、彼は背がとても低かったことが推測できる。
フランス政府がバルザックをどれほど優れた文豪として遇していたかは、当代最高の彫刻家であるロダンにその銅像を依頼して作らせた事実をもっても知ることができる。実物大以上だ。
これを作る過程はサッシェ文学館に陳列されており、完成した文豪の全身彫刻はパリの中心部、リュクサンブール公園近くのヴァヴァン(Vavin)駅の駅前にある。
彼が一時期そこに住み、原稿を書いた空間から、彼が眺めた人生の視角と思考を感じてみると、パリ市内に立っているロダンの作品‘バルザック’の意味が新たに心に迫ってくる。
偉大な作家の博物館をこんなにも品位豊かに作り、生きた教育そのものの彼らの精神と思考を尊いものとして保存し、後世に引き継がせるその所信と方向性がありがたい。
バルザック文学館に行くと、また別の驚くべき光景に出くわした。韓国から来る旅行者や観光客は、二週間近くフランスにいるとしても、ロワール渓谷がよいところだとしても、文学館にまでわざわざ訪ねていくことはまずない。しかし、日本からの旅行客は個人であれ、団体であれこの文学館をわざわざ訪れる。この日偶然ここで十四人の日本人団体観光客に出会ったが、日本人の解説者が文学館のフランス人責任者ととともに、とても詳しく説明しながら案内していた。私もそこに混ぜてもらい、あの小説に出てくる庭園の描写が、先ほど窓から見下ろしたまさにその庭園だったというエピソード等に聞き入ったが、日本人観光客たちが説明を聞いてメモし、勉強する真面目な姿は私たちとは異なっていた。
私はピーター・ヒョン先生のお宅に来たついでに、近くの文学館や芸術家の家を訪ねているのだが、日本人たちがこの遠い田舎までわざわざ訪ねてくるのを見て、これは決して経済的に裕福だからといってできることではないことを感じさせられた。
人口もわずかな小さなこの村には、アレキサンダー・カルダーという動く彫刻‘モビール’で世界的に有名なアメリカの彫刻家が何年か住みながら作品を作りもした。
故郷であるアメリカを離れ、寄贈したモビールの赤と青の大きな金属の円盤が風に悠々と回っていた。自身のモビール彫刻を“動く詩”と語った彼だ。
あちこちにあるカルダーの家とアトリエ等を、ピーター・ヒョン先生が詳しく知っているのは、ずいぶん前にパリでカルダーの娘から週末にカルダーの家に招待されたことがあるからだが、当時のカルダーのありふれた作品が数十年後には数百万ドル以上にもなるとは夢にも思わなかったという。
その値打ちがどうあれ、“人生は短し芸術は長し”という。バルザックもカルダーも皆逝ってしまったが、その創造の英気はこの村と世界に末永く残り、人類が享受し夢見ることができるとは、どれほどありがたいことだろうか。
しとしととサッシェに雨が降る
寝て食べることの他には人生を全て創作に捧げた大文豪と 動く詩で夢を与え続けた彫刻家の 静かな死の上に雨が降る
花火のようなその熱情の痕跡を追う生きている 私の頭の上にもサッシェの雨が降る
生きている者と死んだ者との心をつなぐ 芸術という名の bridgeの上にも
この朝 慈雨となって降りたまえ
バルザックが原稿を書いた城 Chateau de Sache - 2014 5 26 バルザックのサッシェ城文学館入口 - 2014 5 26 バルザックの顔の彫刻像特別展 - 2014 5 26
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