日本で出版された母の伝記を読んだのは、母の没後のことでした。
生前にこれを読み関心を寄せていれば、少しは孝行になったかもしれませんが、日本語からなる数百首の短歌を全て理解することなどできず、いつも後回しにしてしまったことが悔やまれます。
中でも、京都に行き中西進先生と食べた麩料理がおいしく、ここで別れたら今度はいつ会えるだろうかと駅で師との別れを惜しむ場面が印象的で、目を引きました。ワシントンにいたころ、一年に一度は私に会いにきて、帰国の際には二度と会えないかのようにハンカチを濡らして泣いていた母のことが思い出されます。
見たことも聞いたこともないので麩という料理がどのようなものかが気になり、日本に行くたびにあれこれと聞き、何年か前に麩料理で有名な半兵衛を訪れたところ、それは小麦粉から取り出したグルテンで作った料理でした。
私がグルテン料理を初めて食べたのは、カリフォルニアのイ・サング博士の健康の集いに母とともに参席したときでした。博士が菜食主義だったので、もちもちした食感が肉のようだとグルテンを使って作った料理が出されました。ソウルにも健康レストランに行けば、焼き肉の味付けをしたグルテン料理がありますが、アイデアがよいとも思えず、肉ほどにおいしくもなく、箸がすすみませんでした。
半兵衛は創業者の名ですが、1689年の創業なので325年の歴史があり、現在は15代目が継いでいます。
さまざまなグルテン食品を開発・販売して、その商品だけで作った料理集を出したのが20年前のことだそうです。昼食のみ、コースも1種類のみで、料理は全てグルテンのみで作られているのに、形も色もとても繊細で可愛らしく、淡泊な味わいも優しく一級品でした。どれほどの長い年月、代を継ぎながら精誠を尽くして研究開発してきたのかが深く感じられました。
その味と精誠に感嘆した客たちが、店を出たところにある販売店舗に美しく陳列されたさまざまな麩の関連製品を見れば、財布のひもをゆるめずにはいられません。同じ建物の中には、何百年間に渡るいろいろな形のお弁当が陳列された素晴らしい博物館もあります。
東京の大学で家庭科を卒業したこともあり、母の料理は母の短歌よりも特別でした。母は解放前の韓国に帰国して家庭科を教えていましたが、ともに留学した同級生で、後にソウルのいくつかの大学の家庭学科の先駆者となった人々も認めるほどでした。
母がおいしそうに食べた麩料理を前に、これまで母に作ってもらった料理とその愛の深さと親不孝を思うと胸がふさぎます。