一行詩の力
もう2年が経ちますね あの3月
詩人の予見でしょうか。 あの年の3月12日、“日本の底力と眼識”という私のコラムが韓国の新聞に出た直後に、大震災の知らせに接しました。
人類の誰もが例外でありえないことが隣国を襲い、家と職場と町が消え去り、原発のうわさに途方に暮れましたが、私は何よりも愛する人を失い、心で泣く人々と親を失った幼子に憐憫の情が動きました。
朝の顔それが最後になろうとは悶える君に添う吾が心
日本の方々が愛してくださった私の母のことを思い出しました。
君よ吾が愛の深さを試さむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
韓国唯一の歌人であり母でもあった孫戸妍が日本で知られるようになったのも、父の急逝により血を吐くようにして書いたこの短歌のためでした。まさにあの日、何の前触れもなく愛する人を失った方々の心ではないでしょうか。
あのとき、衝撃を受けた韓国人が列をなして寄付する姿を見ながら、母が生きていたなら力のある一行の詩で隣国の心を慰めたことだろうと思わずにはいられませんでした。
その心が250首の詩として私の胸に降り積もり、その一部が日韓のメディアで紹介されると、残りの詩も見せてほしいという要請が世界中から来ました。
そのようにして日本語翻訳に着手し、大震災から6ヶ月もかからず韓国で短歌集を出版し、その後東京の飛鳥新社から装いも新たに現代詩として再び出版されました。
君思う真情をこめし一行詩慰めとなれ癒しとなれと
短な詩のひとつひとつには私の深い思いが込められています。
私の詩に慰められるとおしゃってくださいますが、私のサインを求めて韓国まで訪ねて来られた方、演説に私の詩を引用してくださった諸先生方、手帳に私の詩を88首も書きつけ覚えてくださった方の姿を見るにつけ、むしろ私が慰められました。
最近になって被災地の岩手県、宮城県を初めて訪れました。宮城の気仙沼では私の詩の朗詠会を催しもしました。何日か前には韓国のTVにそのときの模様が放映されましたが、それに共感し感激してくださる姿を見ながら、あの時の私の心を表現してほんとうによかったと思いました。
一行の詩を他の言語に移しかえる不可能な作業を試みたわけですが、翻訳で一番重要なのは作家の精神がどれだけうまく表されているかです。しかし、この詩集だけはそれにこだわらず、詩の行間ごとに込められた見えない力が詠んでくださる方々に伝わることを切に願います。
韓国人と日本人はもちろん、世界の人々がこうしてひとつところに集まり、このような感動の瞬間を共にし、互いを労わり合い、結束し尊重し合うことで、私たちはこの時代が抱えている難題を解決していくことでしょう。
そうして私たちの子孫によりよい世界を手渡していくのです。
再出発 命拾いし吾等から偉大なるもの築き上げゆく
2013 3 Tokyo The Foreign Correspondents Club of Japan |
韓昇州長官、申珏秀駐日韓国大使、李承信詩人、武藤正敏元日本大使、中西進氏高志の国文学館館長、小島なお歌人、
丹野浩一元一関工業高専校長、見えないが右側にパク・ユンチョ音大教授、洪政國東大特任教授の9人が舞台に登場する
詩人の日本語演説が終わると、一部で起立拍手とともに、詩人を挨拶を交わそうとする長い列ができた