カルチャーエッセイ

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大阪城

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  • 2014.02.04 18:52

 

 


                                                                                     大阪城を囲む池   2014  1  19

                  

        

 

 

京都から近い大阪はそこが産業都市であるせいか、本当に久しぶりに行くことになった。

 

大阪そこははるか昔に父と二人で朝食を共にしたところ。

 

父は1983年に亡くなる前の20余年間韓国弁理士会長であり、英語が少しできるからと国際会議には私を連れて行ったものだが、日本の大企業はほとんど父の顧客であり、ビザを取るのも難しかった時代に韓国の特許と知的財産権に関する講演のため日本にもよく行った。

 

そのときなぜ私が一緒に行ったのか思い出せないが、当時大阪で一番大きなホテルに泊まり、父と朝日の中で朝食をともにした生き生きとした記憶がある。

 

貧しい秀才だけが行くという平壌師範(白善燁将軍より2年上級)と満州新京の有名ロースクールを卒業し、高試を経てソウルの米軍政庁と商工部燃料課長を始めとし、30代で特許庁長(当時の管理職としては最も閑職)となり、何の基礎もなかった1956年に発明の日を制定し、大韓民国特許、発明、知的財産権の開拓者として後の弁理士会も創設した。30里の道(韓国の1里は400m)を毎日歩いて通った話はおぼろげに覚えているが、私のみた父は、無から有を創造する先覚者的ビジョン、実力、人格があり、大陸的でおだやかで常に余裕に充ちており、父が貧乏だったとか苦労人であったとかとか考えたことはなかった。

 

あのとき、朝食をとりながら過ぎ去った日々を回顧するかのように、「お父さんは最後には結局やり遂げるけれども、何をするにもその過程はとても辛くて難しかった」といい、「お前はお母さんが容貌も頭もよく生んでくれたので、今後の人生はお前がいかに開拓するかにかかっている」と語った。常に父とともにあるとばかり考えていた私は、それがどういう意味なのか全く推し量ることができず、容貌もよくという言葉程度が耳に届いたようだ。

 

その後空が崩れ落ちたように突然父が逝き、大人になって苦境に立つたびに、いつか幼い日に大阪での朝食越しに父の語った言葉が耳によみがえる。

 

その大阪で、30余年前の今の私より若かった父を思い出しながら、貧しさを押しやって30里の道を歩いて平壌に満州にと独り勉学に励んだ子供時代から、徒手空拳で成功するまでのその険しい人生の歴程、焼け野原の国の礎石を築く過程における苦悩、平壌からソウルに下りながらも38度線に妨げられ永久に離ればなれとなった父母兄弟への骨にしみる思いを長年独り耐えていたその心に、いまさらながら胸がえぐられる。

 

明るく肯定的で怒ることもなく、面白いので大勢が付き従った父をただ好きだっただけで、その深い傷を考えてみたことはなかった。

 

アメリカにいる弟から聞かされた、いつかの旧正月に父と臨津閣に行ったとき、父が「私と妻と娘はソウルで成功して元気に暮らしています」と北に向かって大声で叫び涙を見せたという話も思い出す。

 

豊臣秀吉が400余年前に日本を統一して建てたという日本の代表的古城にして自尊心でもある大阪名物の大阪城は、死ぬまでに見ておくべき世界歴史遺産100’によれば、第2次世界大戦のときの集中爆撃の標的となり、新たに立て直したものだというが、各層ごとの精密で念入りな展示物を久しぶりに見ながら、私は過去30年間も会えず、今後とも生きて再び会うことのかなわない懐かしい父、李允模のことを思った。

 

貧農の息子として生れたと余路観秀吉は、勤勉、誠実、正直さで幕府の最高の地位にまで上りつめ、初めて日本統一を成し遂げることで、全日本国民に夢と希望を与え、大いに尊敬されていると書かれている。

 

細心な心遣いがあったという表現が目についた。

全く異なる環境、異なる結果ではあるが、年の暮れ13度のおだやかな大阪の空気はもしやあの暖かな父の差し伸べた手ではないかと思われ、まわりを見渡してみる。貧寒な家の息子、勤勉、実力、細心な心遣い、尊敬の大阪城博物館のある人物の描写は、始終私に父を思い起こさせた。

 

 

越し方を省みすれば底深き君の傷手に届かざりし

 

                                              孫戸妍の短歌

  

 

 

 

 

私がこれまでに書いた孫戸妍歌集の中の、愛する人を懐かしむ切々たる思慕の短歌を読み、たくさんの方が、世の中にこんなにも愛する人を懐かしむ女性がいるとはと感嘆してくださった。何日か前、ある方が「こんなにも想われた父君はどれほど素晴らしい人だったろうか」と言ってくださったが、それはそれほど誤った言葉でもない。 

 

 

 

 

 

 

                                           


城の入り口に石一つの規模が20坪アパートの断面の大きさだとのこと


城の内部博物館の各階に精密に転じされた400余年前の記録と展示物  

 巨大な大阪城の天守閣に暮色が迫ると灯がともされ、400年の歴史が立ち現れる 2013  12  21

 

 

 

                            

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