2014 2 14
雪 降れば
夜通し雪が降り、窓から見える仁王山も世の中も銀世界だ。 ソウルは私の幼い頃ほどにたくさん雪が降らなくなったが、久しぶりに見る一面の銀世界がただもう嬉しいばかりだ。
だいぶ前のことだが、ニューヨーク州にあるシラキュース大学の大学院を卒業し、その隣のオスウィーゴで暮らしたことがある。ニューヨーク州立大学で夫が経済学を教えていたためだ。ロックフェラーが建てた五つのニューヨークの大学の一つであるニューヨーク州立大学の大学村のすぐ正面には、五大湖の一つであるオンタリオレークがある。息子のアンドリューはその海のような湖の前で生まれた。
夏ともなれば、その湖をはじめ、エメラルド色に輝く大小の湖と滝と川が美しかった。カナダに近いそこは、十月には雪が降り始め、それが四月まで続く。無数の大きなクヌギの木に雪が積もると、世の中にこんなにも美しいクリスマスカードがあるだろうかと思わされた。
しかし、毎日毎日、山のように積もる雪をスコップでかき出さなければならず、それぞれの家にある冬専用のクルマも、除雪剤がまかれた長いドライブウェイを抜けるとすぐに錆びついてしまう。頬はあかぎれ冬は果てしなく長かった。ワシントンに行けば二月でも春の兆しがあるのに、家に戻ってくると五月でも寒かった。
よく見ていた有名な深夜番組Tonight Showでは、当時司会のジョニー・カーソンがオープニングコメントとして世界のニュースをコミカルに伝えていたが、そこでも「ニューヨークのオスウィーゴは今日も記録破りの雪が降りました。Oswego is the snow capital of the world」と紹介されたほどだ。
ソウルから来た父は、昔大学に通った満州のようだと思い出にひたっていた。ちょっと立ち寄る人にとっては神秘的かもしれないが、そこで毎日を暮らす者は頼むから降り止んでくれという心情で空を仰ぐ。このままもう春は来ないのではないかと思うときさえあった。
もう忘れたと思っていたが、雪に覆われた山を見ると、木の上にツリーハウスがある裏庭が深い森とつながっていたオスウォーゴの家やミネト村の入り口、ステンドグラスが美しかった聖堂やらが夢の中のように浮かんでくる。
ソウルの冬も零下十度を超える日もあり長い方なので、私のような寒がりはただもう暖かいところに逃げてしまいたいが、あれこれとしがらみに縛られているうちに暦がめくれ、いつの間にか春を迎えることになる。
こうして時々降るだけならば、雪はほんとうに素敵なもので、まさに冬の花だ。人間が散らかし放題にした都市を白く覆いつくす雪。家の裏の仁王山のチマ岩と靑瓦臺の後ろの三角形の北岳山の雪も、少し歩いたところにある三清公園の青々とした松の木と白い雪も今降ったばかりのように眩しい。心が華やぎ、新しい日への希望が湧きあがり微笑が浮かぶ。
人生もまた然り。
毎日、毎瞬間が嬉々として喜びにみち、豊かでよいことづくめであれば、何を有難がることができるだろうか。どうかすると見ることのできる虹に胸が躍り、生まれて初めてみる皆既月食が驚異そのもののように、期待していないときにだしぬけに訪れる喜びと楽しさがあるからこそ、期待もし願いもかける、私たちの人生はそういうものだ。
雪の降る日はひとり歩いても淋しくはない。
初孫のAndrewを見に 身一つで駆けつけてくれた
Oswego ニューヨーク北部の大学村 雪に覆われた広々とした村を 大学に通った満州のようだと
感慨にふけった 明るいその顔
雪の中に浮かび上がる
仁王山のチマ岩の朝 - 2014 2 9
左の安家と靑瓦臺の間に立つ北岳山 - 2014 2 9
左の景福宮後門と右の靑瓦臺の間は中国人たちでいつも混雑 - 2014 2 9
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