近所を歩くと、秋史 金正喜(朝鮮時代後期の官吏、書芸の大家)生家跡、世宗大王誕生の地、奎章閣(朝鮮の王立図書館に相当する機関)、尹東柱(詩人)の下宿跡等の石碑や碑文を見ることができる。オリンピック(1988年)のころから建てられ始めたが、こうした石碑がソウルに335個もあり、うち195個が誤ったものであるという。
孝子洞の大通り沿いにある金正喜の石碑も誤ったものであり、600メートルほど離れた政府庁舎の近くに移される予定だ。
わたしがときどき行く、孝子洞の古いコムタン(牛肉と内臓を煮こんだスープ)屋‘ペクソン’の道を渡ったドイツ眼鏡店のすぐ前に世宗大王誕生地と書かれた石碑があり、その前をいつも通るのだが、我が民族が最も尊敬する大王の石碑は、みすぼらしく、美しくもなく、まわりをよく見るとその石碑の前に立ち、礼をつくし敬って見つめるものは誰もいなかった。
韓国語だけで書かれているので外国人にはそれが何の石なのかもわからない。しかも、石碑の真後ろには6車線の大きな通りが走り、ソウルのいたるところにある見るもおぞましいステンレススチールのフェンスも目障りで、歩道のブロックもこの都市にありふれたものだが、平安さや美しさとは縁がない。景福宮近所の世宗大王の石碑のまわりはもちろん、この都市のあらゆるところに、このブロックが、このフェンスがあり、乱れた看板が視覚を苦しめる。
韓国人はこれまで原発事故のために日本に行かなくなったと聞いていたが、新聞をみると最近日本は中国人と韓国人で溢れているという。
東京のホテルルームは11万部屋であるのに対しソウルは4万部屋で、その差も大きいが、見どころも買うべきものもたくさんあるので、中国人は日本に押し寄せるという話だ。
中国とは島をめぐって覇権を争い、韓国とも島をはじめ歴史認識等の葛藤があり、繰り返されるニュースにはうんざりさせられるが、この二つの国の人々は日本によく行くという。安部総理が観光政策を直接指示したためとも、日本の円安のためともいうが、旅行とはもともと自分が行きたい、体験したいと心惹かれるところに行くものだ。
わたしの本が日本語で二冊出ている関係で、日本でのミーティングやスピーチのために、比較的よく日本には行くほうだ。日本の方が見るもの買うものが多いので中国人はみな日本へ行くというが、日本に到着するとまずソウルの道で感じる乱雑さ、無秩序がなく、安定感がある。看板がたくさんあっても秩序と調和があり、ゴミはもちろん、ほこり一つない。
わたしはアメリカから帰国してからというもの、乱雑な看板と公共デザインの改善等をことあるごとに言葉と文章で訴えてきた。外国からの観光客の滞在時間はわずかなものだとしても、その2~3日に彼らの視覚に入ったものが韓国の印象を大きく左右する。
全身を美しく着飾ることができなければ、まずは目やにだけでも落とし、お客様を迎えようとも言ってみた。中国人は韓国で見るものを見てしまうと、日本に、特に沖縄に行くという。これまで韓国を訪れた数多くの中国人たちが広げた言葉だ。見るものがないという言葉には、目やにがついたままのイメージも入っているはずだ。
もうすぐ市長選挙の季節だ。
鐘路区に長く住んでいる最古参だからか、選挙の季節にはわざわざ訪ねてきて挨拶してくださる方もいる。しかし、いくらソウル市を世界的なグローバル都市にし、より住みやすくするための未来ヴィジョンを大げさに語っても、わたしはまず、ギラつくステンレスのフェンスを目立たないように変え、歩道のブロックには安定感を、看板には秩序をもたせ、ゴミの見えない都市にして、外国の友人たちが来ても少なくとも視覚的には基本ができているようにするだけの見識があるかどうかをじっくりと見定めることだろう。
石碑を建てるのも、移すのもその後のことだ。