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中央日報 - '令和' 百済人の平和

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  • 2019.08.07 13:45

 

 

                           

  中央日報                                                           2019  5  2

 

 

 

本の年号‘令和’には

百済人の平和思想が

 

 

 

德仁天皇即位 令和時代の開幕

年号考案者 中西進 教授

 

7世紀に戦争を避けて日本に渡った百済人

聖徳太子と平和憲法作成

 

韓国にはそうした面を見せられず迷惑をかけた

 

 

 

 

 

 

            中西 進先生          

 

 

 

日本では51日に元号「令和」を使用する徳仁天皇の時代が開幕した。「令和」を考案した中西進(89)名誉教授は、「令和は‘美しい平和’という意味」とし「一にも平和、二にも平和を重んじる平和論者が考案した元号」と述べた。428日の中央日報との単独インタビューで、彼は平和に対する強い信念から「令和」を新元号として推薦したことを明らかにした。

中西教授は特に「元号の二文字のうち、平和を意味する『和』は、7世紀に聖徳太子が作った17条の憲法に登場したもの」とし「朝鮮半島から渡ってき百済出身の知識人たちが太子と憲法を一緒に作ったから、『和』は東アジア全体の平和思想だ」と述べた。

日本のメディアは、日本で最も古い詩歌集である『万葉集』研究の第一人者である中西教授を「令和の考案者」として報道している。しかし、「考案者を正式に発表しない」というのが政府の立場であるせいか、中西教授はインタビューで「考案した人は~」という三人称視点で主に述べた。

令和は『万葉集』の「梅の花」の歌32首の序文にある‘初春令月にして、気淑風和ぎ、’から二字を取ったものだ。インタビューは中西教授が館長を務める富山市の高志の國文学館で428日に1時間ほど行われた。外国メディアとの最初のインタビューだった。

 

Q 元号を直接考案したことはまだ秘密のようだ。政府が発表していない。

 

A「それは平成の時も同様だった。それにもかかわらず、政府関係者を引用して(メディアが報道した)

 

Q 日本で元号とは何を意味するのか。

 

A「ある時代を特徴づけるネーミングだ。こうした未来であってほしいと祈る性格もある。未来に対する目標と祈りが入らなければならないし、覚えやすくなければならないし、内容も素晴らしくなければならず、響きも大切で、パターンを踏み外してはならない。家に見えたお客様は台所ではなく応接間でお迎えするのが自然なように、元号にも全く異質なものが入り込んではよくない。半分は伝統を生かし、半分は新たに光輝く内容の集合体というか」

 

 

日韓関係は歯がゆい、必ずや改善すべき

 

 

Q考案自体が難しい作業のようだ。

 

A「宮廷から謎解きを仰せつかった人のようだ。‘一晩で作れ’といわれると頭が真っ白になるように、元号の考案も12年で出来ることではなく、少なくとも67年以上はかけるべきことだ。考案者は2030個の案を出したという」

 

Qは命令を意味するのではないかという説があるが。

 

A「令は基本的には良いこと、美しいものだ。英語でオーダー(order)とも解釈されるが、オーダーには命令以外に‘秩序’という意味もある。つまりビューティフルオーダー、オーダーがあるビューティー、秩序ある美しさというか。それを‘命令’とか‘使役(させること) ’とだけ言うのは、知識のレベルがとても低いのだ。」

 

Qでは‘和’はどうか。

 

A「和はピースpeace、平和だ。7世紀初めの優れた王子だった聖徳太子が、十七条の憲法というものを作った(604)。日本では以後1400年以上に渡って重んじられてきた。その憲法の1条が「和が重要である」という内容だ。7世紀の平和憲法が1946年の平和憲法につながっている。しかし、(これまで)韓国にはそんな日本の姿を見せることをせず、迷惑をかけたと思う」

 

Q聖徳太子はなぜ平和憲法を作ったのか。

 

A「朝鮮半島で繰り広げられた戦争に日本は介入したが負け続けた。厭戦思想が広がり国民は『戦争をやめてくれ』といった。それで決断して戦争をやめ、すぐその翌年に‘和’を入れて憲法を作った。無駄な戦争をやめて尊い命を守ろうという意味が込められているのがこの‘和’だ」

 

Q朝鮮半島から来た渡来人の役割があったか。

 

A「百済人が戦争を避けて日本に大勢渡ってきた。知識人も多かった。彼らが聖徳太子とともに十七条憲法を一緒に作った。故郷を失い、日本に逃げてきた人々、‘血(血統)’で見ると大和人ではない。すなわち、日本人ではなく韓国人だ。彼らは『戦争は嫌だ、二度と繰り返されてはならない』と言いながら‘和’で憲法を作った。そのような点で‘和’は東アジア全体の平和思想だ。当時先進国だった百済人の知力(知的能力)が入っている」

 

Q「令和時代」の日本にはどうあってほしいか。

 

A「令には紀律・規律という意味もある。他の人に命令するだけではなく、自分自身に命令しなければならない。また、グローバル時代には、有限な地球のためにも遠い未来を見据えて様々な礎石を固めなければならない。国民をどのように豊かにするのかを考えなければならない。軍事力で戦うのは愚の骨頂だ。」

 

Q韓国の知人が多い知韓派として悪化した日韓関係に対する考えは。

 

A「本当に歯痒い。ぜひ改めるべきだ」

 

 

 

 

 

 

中西

日本文学研究と比較文学研究で日本を代表する学者。日本、韓国、中国の文学はもちろん、古今東西に渡る深い学識にもとづき、研究に没頭してきた。特に、日本最古の詩歌集万葉集研究の第一人者として評価されており、中西万葉学いう造語まである。2013年には科学技術と文化等の分野にて優れた業績を残した者に授与される文化勲章を受けている。

 

 

 

 

 

                                                   富山 – ・スンウク特派員 sswook@joongang.co.kr  

 

 

 

 

 

              歌人の10周忌記者インタビュー   -  孫戸妍 李承信 親子詩人の家 ソウル  2013.11.22

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 







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