笙極里の墓 2014 9 23
墓 参 り
墓地への道の入口には、一抱えの紫色の野菊が咲いていた。
逝きし後君は初めてうた詠みの夫らしくなる野菊に埋もれ
今でこそ両親は同じ墓に合葬されているが、少し前までは満二十年もの間、この大きな山に父だけが眠っていた。その急な山道の上にある墓を私は母とともに訪ねた。
車から降り、かなりの時間登り続けて息苦しくなってきたころ、二つの石柱と墓の囲いがその姿を現した。
ボルティモアの知り合いの家で感謝祭の食事をしていたとき、父逝去の電話がソウルから来て、私はその家の台所の床に何時間も転げまわった。空が崩れ落ちることを私が経験した最初の死だった。
三十一年前のことであり、墓参りに行くたびに、ここにいるのもしばしのことかもしれないと思った。
君よ吾が愛の深さをためさむとかりそめに目を閉ぢたまひしや
父の生前にも母はもの静かな良妻であり、父亡き後にもさまざまな面に極めて丹精をこめる良き夫人だった。
父の死後、長く入院生活もしたが、その後は友人から引き受けた利川の隣の笙極里の墓地によく行った。未練がましくも恨めしくもあり大きな山を買って墓を立てたけれど、近所の大地公園墓地を見ると、あんなにたくさん一緒に葬られているのなら、平壤出身で満州のロースクールを卒業し、明るく大陸的で進取的だった父なら互いに名乗り合って親しく付き合い淋しくもなかったろうにと、あれもこれもが悔やまれた。
生きている者の慰め碑の表裏にも刻む君の功績
草原のしこ草をのみせめて抜く亡父に仕えることのあらなく
枯野染め夕陽は落つる果し得ぬ君の夢まで果すべく見る
君好きな花何ならむ聞きおかず塚訪う度に迷い迷うも
君好きな花の一つも聞きおかず何を知るとぞ君の心を
繊細な歌人の感性だろうか。積もる縁ある美しいものたちをひろげ、母は切に祈りを捧げた。私たちは言葉を交わさなかった。母は子どもたちに何のそぶりも見せなかったし、私も悲しみを表さなかった。普通墓にはマッコリをかけるが、母はその代わりに父が普段好きだった紅茶を真心こめて墓にかけた。そして、既に手入れされている墓の草を手持ちぶさたに引き抜いた。私はただそんな母を眺めていた。
一度でも君目覚ませ塚の前見渡す限り黄金色の田
君の脇吾れも埋めよと泣き崩れ野花色染む白き喪の裳(チマ)
空の国何という名の駅に降り君の居所尋ねればよき
息途絶える瞬間まで愛する人を懐かしみ、その哀切な心情を一行の詩に表現した。
そこに込められた心は海の向こうの隣国の心の琴線を震わせた。
今や二人一緒にいるだろうが、母なしに登る山道は侘しい。
お母さんは何の花が好き?
う~ん
槿? 野茨? 牡丹? 百合? 桔梗? 野花?
口数の少なくなった晩年の母は、どの花にもう~んと言った。
人々のするような派手なお供えではなく、母を真似た精誠尽くした繊細なお供えでもないが、父が好きだった梨と二人の思い出のあるハワイのマカデミアナッツ、母がいつも準備していった紅茶、そして、母が一番好きだった花の名前もその深い胸の事情もとうとうわからずじまいのままに、花屋で迷ったすえに選んだ青い野花の鉢と西洋百合の花束を供えた。
墓の回りに生え出た草をだまって抜き取り、母のした通りに淹れた紅茶をカップに受けて万遍なく墓に振りかけた。
誰もが逝く。
しかし、愛する者はより早く逝く。
一日過ぎるごとに父母は遠ざかり 一日過ぎるごとに父母に近づき
李承信
笙極里の母、孫戸妍の墓の碑石 - 2014 9 11
京畿道笙極里の父、李允模博士の碑石
アメリカの青い野花と西洋百合のスターゲイザー、梨、
ハワイのマカデミアナッツと日本のあんパンと紅茶
逝きし後君は初めてうた詠みの夫らしくなる野菊に埋もれ - 孫戸妍の短歌
墓原のしこ草をのみせめて抜く亡夫(つま)に仕えることのあらなく - 孫戸妍の短歌
母が真心こめてまいた紅茶を今後は母が受ける番 - 2014 9 11