ジョージ・ウィットマンと5才の娘シルビア・ウィットマン 2014 7 5
Shakespeare and Company ひとりの男の夢
見慣れているようでいて夢のようなノートルダム寺院のすぐ横、セーヌ川にかかる短な橋を越えると、そこに本屋であることを越えた有名な本屋がある。
セーヌ川の左岸を渡るとすぐにあるのに、いつも反対側の路地を探しては迷っていた。
ひとりの男の執念から成ったこの本屋は、長年人々から愛され続け、これまで‘Before Sunset’、‘ Julie & Julia’といった映画や、昨年ウッディ・アレンが作って話題となった‘Midnight in Paris’にも登場する。
本屋の1階の床は20坪にも満たず、階段も名声のわりには狭苦しいが、一歩足を踏み入れると床から天井までぎっしりと本が積まれているのに、見るものを圧倒することなく緩やかでほのぼのとして、以前も何度か来たことがあるように懐かしくさえある。
若くしてパリに留学したアメリカ人のジョージ・ウィットマン(George Whitman)は、アメリカ人宣教師の娘であったシルヴィア・ビーチが建て、ジェームス・ジョイスのユリシーズを出版し、ヘミングウェイ、スタイン、フィッツジェラルド、エリオット、パウンド等が頻繁に出入りしていた本屋が看板を下ろすことになると、その後を継いで1951年に本屋を開いた。そしてその本屋はたくさんの英米作家と英米文学を愛する読者たちの私立図書館となり、パリにおける芸術家たちの安息所となった。
少し前に99歳で逝ったジョージ・ウィットマンの娘、シルビアが著した32ページの冊子の中で、シルビアは本と読者と作家がその人生の全部だった父親に、文章を書いたことがあるかと聞いている。
自分で書いたラブレター何通かの話をしながら、「私はこの本屋を作家が小説を書くようにして創造した。それぞれの部屋は小説の各章のように作られ、人々が店の扉を本を開くようにして入ってくるのがよかった。彼らの想像の中の魔術世界に誘うのがこの本屋さ」と語った。
若くしてボストン大学を卒業して南米に渡った彼は、高熱のため倒れかかったところを、道で出会った見ず知らずの人が、その家に連れて行き、治るまで治療してくれたその寛大さに大きな影響を受けた。そのため、彼の店の1階の壁には『見知らぬ人をそまつに扱うな。姿を偽った天使かもしれないから(Be not inhospitable to strangers lest they be angels in disguise)』と書かれている。
2階、3階の本棚のそばにベッドを置き、作家や芸術家や知識人たちを泊め、店の一部は図書館として誰もが古書を読めるようにした。借りて行った本がもどらないこともあった。それでも彼には本を売ることよりも、読者と作家の共同体の方がもっと重要だった。
ノートルダムのそばに移ってくるまでは、16世紀の建物で修道院のあった場所にあったが、彼はいつも「中世紀の修道院には日が暮れると火を灯す仕事の修道僧がいた。今ここで私はその火を灯す修道僧だ。それが人生における私の謙虚な役割だ」と語った。
彼の店に泊まる作家たちにジョージ・ウィットマンは、日曜日の朝にはパンケーキを焼き、4時にはティータイムを忘れなかった。カーテンは真ん中ではなく両脇になければならず、2階の一方には劇場用の椅子が一台置いてあった。本とは想像の産物なのだから、本屋は当然その想像力を劇場のように反映しなければならないというわけだ。 パリではほとんど毎日私は歩いてそこまで行った。彼が開業当時から毎週催してきた文学行事にも参席した。ロンドンから来た女性の小説家のイベントだった。ノートルダムの巨大な寺院がすぐ目の前に見える本屋の前の狭い道端に80名ばかりがぎっしりと席をとり、トークと真剣な討論の後、厚い本に作家がサインをした。
幼い日々を父の本屋で遊んで過ごしたシルビア・ウィットマンもその行事に顔を見せていた。その魅力は俳優のメグ・ライアンを越えている。ちょうど手にしていた母の英語版の詩集を手渡した。
67才にして生まれた娘に、彼はこの本屋だけの独特な愛される経営を教え、店の上のアパートに引退した。彼が“パリのウォールストリート”と呼んだ書店の扉に『どの修道院にも夕闇に火を灯すものがいる。わたしは50年以上その役割をしてきた。いまや娘の番だ』と書いて貼ってある。その宝石のような伝説が受け継がれる。
有名作家たちとの文学フェスティバルが開かれ、2011年からはパリ文学賞の授与もしている。
ジョージ・ウィットマン。 自らの好きなことに熱情を傾け、こうした本屋王国を創造して献身し、自身と世界の人々を楽しませたこのような人物がいるのだ。
彼は小さな本屋を営み管理することが、詩や小説を創造することに等しい創造であると信じ、人々もまたその夢を過去63年間信じてきた。文学と文化を愛するフランスがその背景であり、彼の一念は人々の心を慰めただろう。
彼の心は私の心も慰めてくれた。
後にしてきた祖国は沈鬱とし、来て間もなく港湾都市マルセイユでは稀代のスリにあい1ヶ月間の滞在費の入った財布をそのまま持って行かれてしまった。
そこには本と作家と読者を心から愛したひとりの男のスピリットが生きており、足繁く通ったヘミングウェイ、エズラ・パウンド、T・S・エリオットの手垢のついた本と足跡がある。偉大な魂の建築と流れるセーヌ川を嘘のように眺めながら、本屋の隣でサラダとおいしいバゲットを惜しみながら食べた。
バゲットをちぎりながら、大学に通った新村の書店がひとつずつ店を閉じてしまったことや、私の育った西村からも消えていった懐かしい二つの書店のこと、そしてその西村で数十年間がんばっていた‘大悟書店’も最近カフェになってしまったことなどが思い出された。
幼い日パク・ギタンの漫画に夢中だった わが町、西村のあの本屋はどこに行ったのだろう
注文すると届けてくれるのは翌月だった あの向いにあった本屋もどこへいったのだろう 長い髪をなびかせて立ち寄った学校の前の あの本屋はどこに消えてしまったのだろう
ここ 地球を半周まわって
わたしの祈りがまだ残っているノートルダムで 四方のステンドグラスを静かにみつめると 神父のミサがわたしの耳にシャンソンのように聞こえる
顔は変わっても愛は変わらない セーヌの恋人を橋から見下ろし 顔を上げると
そこに私が失った本屋がひとつ 夢のように立っている
心の片隅を離れずにいた その心のひとかけらが飛び出て 遥か昔の その香と向き合う
切なるノートルダムの前 セーヌ川のそばの その男の夢
Shakespeare and Company 入口 - Paris 2014 5 28 英米文学でぎっしりと満たされた本屋の1階 - Paris
イギリス作家の最新作に対するトークと、質疑応答 2階にあるこのコーナーの本は自由に読むことができる。 本屋で育ったシルビアが伝説の父の後を継ぐ - 2014 5 20 Notre Dame - Paris 2014 5 31
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