2013 12 23
ネルソン マンデラ その魂
ネルソン マンデラ 1918 - 2013
父と同じ年に生れた彼が、満30年をさらに生きたことが羨ましい。
19歳のオバマが彼のリーダーシップに接して政治の世界に飛び込んだように、地球上の数多くの人々に霊感を与えたことが羨ましく、5000万人という韓国とほぼ等しい人口の南アフリカ共和国が、数百年の人種差別の病弊をついに終わらせ、白人黒人共存の時代を切り開いた偉大な指導者を持てたことが羨ましい。
27年間の監獄生活を経て、最初の黒人大統領となり、ノーベル平和賞を受ける等のビッグニュースなら聞きはしてもあまりにも遠い国の出来事だった。
しかし、具体的に彼に関心を持ち始めたのは、約3年前のヨーロッパ行きの飛行機でインビクタス(invictus:“征服されない”というラテン語、危機の瞬間ごとに彼が詠ったウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩、我は我が運命の支配者~1875)という映画を見てからのことだった。
マンデラの実話をクリント・イーストウッドが監督した映画で、白人だけのスポーツであるラグビーワールドカップを南アフリカが誘致したことをきっかけに、白人に弾圧され抑圧され続けてきた黒人に白人からなるチームを応援させ、ラグビーを通じた黒人と白人の和合の力でワールドカップを優勝に導く感動のドラマだが、私は初耳だった。
350年間、圧迫と悲しみにさらされ、抵抗し闘争してきた彼が、白人を赦し抱きしめて、黒人に応援させて拍手をおくるというのは、映画にだけある話で実話であるはずがない。35年間の悲しみにさらされた韓国は隣国の指導者と会おうとすらしないではないか。
白人だけが住んでいるものと思って留学したアメリカのワシントンとボルティモアで、はるかに大勢の黒人に初めて接し、アフリカに来てしまったのかと思ったことがあった。黒人の友達もでき、黒人と白人の葛藤を長く見守ってきたが、黒人にならないかぎりは、彼らの苦痛とその深い心は知りようがない。
後年、マンデラはこう回顧する。オプラ・ウィンフリーがインタビューで「どうしてそのような非人間的な監獄生活を味あわせられながら、復讐心でなく赦しの心を持つことができたのか」と問うと、「もし私が監獄に行かなかったら、人生の最も難しい課題である自らを変化させることを成すことはできなかっただろう。監獄に座って考える機会は外の世界では持つことのできない機会だった」と言った。
偉大な人物は地獄の奈落に落ちても、自身と自身の人生をそのように変化させ昇華させるのだ。
私達にもそのような大きな包容の心を持った誰かが現れ、今、この社会が陥っている地域、世代、理念、階層、さらには燐国との谷を埋めてくれたら、どんなにいいことだろう。
いや、
その赦しと和解の精神という偉大なる遺産を私たちが受け継ぎ、私たちひとりひとりが変化し、私たち自らがそれを成し遂げなければならないことである。
人類の格を引き上げた彼と、同時代をわずかでも共有し、深く考えることができるようになったことが有難い。
堅い心を溶かし動かすのは
誰かの心
誰かの魂その魂を
その偉大さを
必ずや受け継がねばならないのは
私たち
マンデラに与えられた霊感をかみしめ、彼が27年間つながれていた
1.5坪のロベン島の獄舎から外を眺めているバラク・オバマ