2013 9 15
白翎島
1997年に脱北(北朝鮮から脱出)し女性1号博士となったイ・エラン氏に初めて会ったのは、昨年の冬肌刺す寒さのある日、道端の天幕の中でのことだった。
町内を少し歩き下ると孝子洞の大通りになり、青瓦臺に続く道にオクイン教会がある。その教会の前の天幕の中で、彼女は中国から脱北者を北朝鮮に送り帰すことに反対して18日目となる断食中だった。私はほぼ毎日夕方その前を散歩しているが、ある日惻隠の情がわきその中へ入り、手を握ってお祈りをした。また別の日には、やはり北朝鮮から来た彼女の母親が、もう体のことを考えて断食をやめるように切実に訴えたが、娘はその言葉を聞き入れなかった。そんな娘が不憫でならず母親は私をとらえて哀訴しもした。
そんな彼女が六千箱の薬果をつくり、仲秋にも帰省できずに国を守る白翎島の海兵隊将兵たちに差し入れしようと思うのだが、一緒に行きましょうと言うので、寄付もしてくれた友人五人が集まった。
東仁川に行き、そこから再び仁川埠頭に行って船に乗らなければならないのだが、明け方から動いたのに雨が降って道が混み、朝八時の船に私だけが乗れ遅れ、かなりの時間を待って午後一時半の船に乗った。
船はほぼ五時間かかり、波も激しく船酔いもきつかった。
午後六時半、家を出て十二時間ぶりに到着した。薬果の贈呈式はみな終わってしまっていたが、将兵たちの案内で宿所に荷をおろし、布団をしいて夜通しイ・エラン氏の北朝鮮を脱出して韓国に来て定着するまでの苦労話や、薬果を無条件にたくさん作ってSNSであちこちに寄付をお願いしたが、中でもカカオトークが最も効果があり、2500万ウォン集まったという話などを聞いた。
統一がなされれば金日成、金正日の別荘34ヶ所を観光地としてつくりかえ、そこで北朝鮮料理を韓国の人々が味わうことができるように今から教えたい。また、来年の仲秋には薬果をもっとたくさん作りたいと語った。世界のスターバックスにその薬果を売り込むのが夢だという。
将兵たちを励まし、よいことをしたい人々には機会を与え、開城式薬果を他の脱北者たちと夜通し作り、それを消費するアイデアとその意思を見ると、“自ら手助けする人”であると思う。
翌朝、クォン・ヨンソク、ユン・ジュヒョンの二名の将兵の案内で、北朝鮮の天安艦の北侵により犠牲となった我らが花のような勇士46名の慰霊塔と永遠に燃え続ける炎にお参りした。本当に粛然としていた。
一、二時間の航海と思ったところが、五時間の船酔いで苦労し、正直ついてきたことを後悔もしていた。しかし、すぐ目の前2.5キロ先の海中、その冷たい海に国のため、民族のために犠牲になった英霊たちの前で深く悔い改めて、頭を垂れた。
彼らのご両親の心情を思い胸が痛んだ。
統一のその日まで、仲秋もなく西海の最北端、黄海道が目と鼻の先に見える白翎島を守る海兵隊将兵たちが頼もしく、いまさらながら有難い。
小豆のような砂利が敷かれた豆石海岸と神秘的な頭武津、その道沿いに長く咲き続くハマナスが美しい平和の島。我らが勇士の魂が漂う白翎島を、我が民族であれば誰もが皮膚で感じなければならないだろう。
すまぬ 勇士よ
しかし
君の高貴な志は
千年、万年
民族の胸に限りなく輝かん
永遠に絶えることなき炎とともに
2013 9 12 白翎島駐屯クォン・ヨンソク元士撮影
白翎島の絶景 頭武津 - 2013 9 12