2013 8 5
ウェドルゲ 私がウェドルゲを初めて見たのは1968年、もう45年も前のことだ。ソウルの人々が済州島の蜜柑畑を買うことが流行り始めた初期に、両親が南元邑に農園を買い、済州島に行くようになったのだから。 知人の家があるので友人たちと久しぶりに済州島を訪ねた。済州島の活気が冷め始めたころ、オルレ(トレッキングコース)ができて、たくさんの人々がその道をたどるようになり、最近では中国人が多く訪れるので、済州島が遠からずして中国になるだろうという噂も流れている。 西帰浦にあるウェドルゲはいつ見ても高くて孤高だ。オルレの7番コースが有名になった理由でもある。20余メートルの高さに広さが10余メートルになるともいうが、黒く穴がぶつぶつあいた玄武岩の多い済州島にあって、ウェドルゲはすっくとそびえ立つ灰色の稠密な岩で、周りの海岸は海食崖と洞窟が絶景をなしている。 母と共にここに立った記憶はないが、生涯の親友だった東国女子大の家庭学部長を歴任したイ・インヒ氏が、母とともにウェドルゲの前に立ち、「私は済州島でこのウェドルゲが一番好き 」といい、母が感激して「私も」と言い、二人して抱き合いながら踊るようにぐるぐると回ったと、母の亡き後に語ってくださったことが思い出されて、しばしやるせなく見つめていた。 母は父とともに何年か営んだ農場の思い出等により、済州島にはとりわけ愛情が多く、漢羅山、蜜柑畑等、済州島に関する短歌を多く残した。 韓国で生涯短歌をつくった韓国短歌歌人である孫戸妍の歌碑がなぜ日本にだけあるのか、済州島を心から愛した母が思い出され、済州島の二人の国会議員に会った際、この場に歌人の‘ウェドルゲ’の短歌一行を韓国語、日本語、英語、あるいは最近の趨勢もみて中国語まで入れて、歌碑でも木の板でもいいので刻んでおけば、この風景にもさらなる意味が与えられ、済州島の愛を表現したその詩心に感動し、文化の済州島が世の中に広く知れ渡ることになるだろう、と言っても理解してくれない。済州島にはそのような文化はまだまだですと言いながら。 その右側にある道を少したどると、大長今の撮影場所というところに大長今の俳優の大きな写真があり、大長今の等身大のパネルの顔部分だけをくり抜き、そこに顔を入れて写真を撮れるようになっている。 有名俳優や政治家の銅像や扁額を立てる国は先進国ではない。 中国の蘇州でも 最近完工した駅の広場の真ん中に毛沢東の代わりに、9mの高さの宋の文筆家である范仲淹の銅像とその一行の文章を刻み、その人文精神を広めようとしているという。その駅を行き交うたくさんの人々がその心を刻むことだろう。 向こう側にはジャンク舟が遠くに見え、引き返して来て海の上にそびえ立つウェドルゲを再び眺める。待たせているタクシーにすぐにも戻らなければならないのに、なかなかその場を離れることができない。 12万年前ごろ形成された、漁に出て帰らぬ夫を言葉なく待ちわびる不憫な妻の姿であるというあのウェドルゲ、一人立ちつくす老女の元へ夫が帰り来ることを切実に祈り、そうすれば突然逝ってしまった自身の夫も戻ってくるだろうと固く信じて、このあたりで踊りをおどったという母を思い、何度も何度もふりかえさせられる。 고기잡이 나간 남편을 기다리다 할미 바위 되었네 돌아올 고깃배는 소식 없는데 夫待ちて老女は岩となりて立つ 漁舟未だ影見えずして 西帰浦 ウェドルゲ - 2013 8 15
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