ああ、もう秋かと思っていたのに、急に0度まで冷え込んで冬の入り口に立たされたようで妙な気分にさせられます。
それでもつい何日か前には遅ればせながら紅葉した堂々とした銀杏の木を仰ぎ見たり、触ってみたりして、再び訪れた秋を満喫しました。まわりの人々がやれ内臓山だ、やれ雪嶽山だと写真を送ってきたときでした。
普段なら私の書斎の窓越しに、樹齢400余年にはなるだろうその木が見えても当然としか思いませんが、季節の変わり目には、歳月の変化とその早さに驚き胸がわつきます。
一年に四回、変る瞬間が来ます。
季節の移り変わりは何度も見てきたので、いまさら不思議なこともないはずですが、一瞬たちともとどまることを知らないその生命の動きは見るたびに新しく感激させられます。だから家を後にしてその前まで出かけることになります。
2、3年前まではその木の前に立つことはできませんでした。
由緒ある勝洞教会があり、そこにはアメリカから来た宣教師たちが暮らす4階建ての赤レンガの建物があります。長い塀におおわれており別世界のようです。ずいぶん昔、背の高い宣教師の女性と何度か道で出会って話を交わした記憶があります。
それが一昨年のこと、突然塀が取り払われ木々が露出し、1階が喫茶店になりました。聞くと、宣教師たちが去ってしまったあと外貨輸入会社が買い取り、1階を賃貸にしたとのことでした。ああ、あの木と煉瓦の家を部屋の窓からいつも眺め、この町の、おそらくは最古参としてその歴史を私ほどに知るものはいないはずに…私が買っておくべきだったと、買う能力も管理する自信もないくせに悔しくてしかたありませんでした。
そのとき、母の最期の言葉のひとつが思い浮かびました。
亡くなる少し前、弱くなった母を連れて(母のクルマなので母が私を連れて行くといったほうがいいのかも)、新聞でみた評判の食堂を訪ねました。南漢山城の近くですが、こじんまりとした韓屋で、味もさっぱりとしていました。一生のほとんどを詩を書いて過ごした西村の美しく由緒ある韓屋が道路拡張で真っ二つにされ、それすら母の価値をよく知らなかったこの娘が取り壊して新しく建て替えてしまい心が重かったので、すっかり痩せてしまった母が不憫で慰めのつもりで、きっとうなずいてくれるだろうと思いながら「お母さん、こんなこじんまりとした韓屋があったらいいわね。そうでしょ」と言うと、姿勢を正した母が静かにこう言いました。
「所有することになれば頭が痛くなるの」
情報があり、幸い購買能力もあったとしても、宣教師の煉瓦の家の塀は取り壊されてしまっており、その木の前に立ってこうして眺めているだけでもとても幸せなことなのだと瞬間的に気持ちを入れかえました。
愛と魂の痕跡が残り、とても立ち去ることができなかったあの韓屋の家が、フォークレーンで壊された日、その場に座り込んで涙を流していた母の写真があります。
取り壊して新しく建て替えた家の1階は当時IMF時代で2年間借り手が見つからなかったので、文学館と芸術空間を作り、私を訪ねてくる人々にとってのサロンのような役割をしましたが、何年か前、京都に勉強に行くことになったので、以前から部屋を貸してほしいとねだっていた青年に貸してやったところ、世は不景気で何をやってもうまくいかないといって、いつの間にか出て行ってしまいました。
それで、その後は誰かが訪ねてくると、歩いて連れて行くようになったところがまさにこの銀杏の木の下の喫茶店です。ちょうどコロナの始まった時期に開店したせいか、客は私だけ。お店のご主人にこれじゃあダメねとあれこれアドバイスもしたのですが、ここ最近になってみると、なんとコロナなんてもうどこにもないといったように、6百余坪の庭に数百名が席をとって座るようになり、飲み物を注文するにも長い列に並ばねばなりません。
一昨日が絶頂でした。木の下には楽しそうな表情の若者たちが連れ添っています。三本の木からなる風景を見に遠いところから来たのでしょうが、木を仰ぎ見ているのは私しかおらず、もういなくなってしまったアメリカの宣教師たちとここの歴史は彼らの関心の外です。
その前ではあまりに高いので全部を見ることのできない木が、朝目を覚ますと窓の向こうにそ全景を見ることができます。そのすぐそばには十字架が見え、その向こういは空が…所有せずに味わう幸福です。
よくなでていた同志社大学のキャンパスにある巨木のことを思いだします。世界には信じられないほど大きな木もたくさんあり、それらを見るときには目覚めれば目に入ってくるありふれたこの木を珍しがったりはしませんでした。ところが、見るほどに美しくどこか霊的に惹きつける力まで見せるのは、季節の変化で新しくなり、より華やかになったせいでもあるのでしょうが、終わりのないようにみえたコロナのプレゼントであることに気づきました。よくよく見るときれいに見えるというあの詩のように。
宣教師たちが70余年間暮らし、この地に福音をもたらして去った場所に残る銀杏の木があまりに美しいので、この秋の短さを恨むわけにはいきません。