龍安寺の晩秋 2019 12 1
李承信の詩で書くカルチャーエッセイ
龍安寺 秋に染まると
龍安寺は伝説だ。 京都を研究する人は世界中にいるが、彼らが京都のいろいろな名所のうち、一番をどこに指折るかと問えば、しばし悩んだ後に答えるのが‘龍安寺’だ。
その名声は西洋先進国にも鳴り響いている。極度に発達した彼らの精神文明に、何か物足りなかったものを日本の精神文明についに見出した。それが目に見える造形として現れたものが龍安寺の石庭であり、その単純な清潔さと極めて霊的な美しさだった。龍安寺の石庭に霊感を得た西洋の思想家、文学者、芸術家、建築家は数えしれない。韓国の大統領と日本の野田佳彦首相(当時)との生半可な歴史論争に終始した首脳会談も、2011年にここで行われた。
龍安寺には人が多い。私は春に一度、かの有名な石庭の長々と続く土塀のすぐ後ろに咲いている大きな枝垂桜を見に行く程度だ。何年か通ったが、いつも何日か早いか遅いかして、満開に咲く姿を見たことはこれまで一度もない。
龍安寺の偉大さに関する話はあれこれと聞くが、紅葉の話はあまり聞いたことがない。境内が広く木も種類が多いので紅葉もきれいなはずなのに。
2015年のある日、同志社大学の90分の学期末試験を終え、重い頭をひきずって龍安寺行きバスに乗った。学校の前には有名寺院行きの直行バスがたくさん出ているが、学期中にはそんな暇はなかった。
枝垂桜のトンネルや松の木、そして楓の木もまだ青い葉を残しているものがあったが、秋の紅葉だからといって全てがきれいというわけでもなく、たとえきれいでも境内にはその他にも見どころがたくさんあるので、それらに見劣りすることもありえた。はたしてどちらの結果になるだろうか。結論は後者だった。それでも、葉が落ちてしまってはいても美しく、試験のために苦労した身にご褒美をもらったようだった。
昨年12月、そのときのことを思い出しながら龍安寺に到着すると閉門15分前だった。京都の寺院や庭園は5時に門を閉めるが、4時ごろからもう閉める支度を始める。受付も、大門も閉められ、脇にある門だけが開いていた。
境内を一回りして出ようとすればかなりの時間がかかる。時間もないので見学コースとは逆に左側に出て階段を急いで上がると、大きな鏡容池をはさんで楓の木が長々と続いている。太い木々だ。順路とは逆に歩きながら、夕方、真っ赤な花のように紅葉した葉を天からの恵みのように眺めつつケータイで写真を撮った。境内を回って出てくる中東からのカップルと出くわした。何語で話しているのはかわからないが、その口もとや目つきで、私たちは感激をともにし心を一つにした。中東に対する偏見が仮初にもあったとしたら、それが全部拭い去られた瞬間だ。
卒業後もあれこれとしたことでタイミングを合わせて一年に何度か京都へ通った。飛行時間は釜山へ行くよりも短い感じだ。
それなのに、腰を痛めてしまって外出もできなくなったので、アメリカや京都行きのスケジュールもキャンセルしてしまった。
今頃は京都の紅葉も絶頂を迎えているだろうに、11月29日の同志社大学創立者である新島襄の命日には山中のお墓に同級生たちとお参りしなければならないのにと、あれこれ残念に思いながら、昨年の秋に撮った永観堂の写真と文章を最近3ヶ国語で配信した。この気ぜわしい世の中にそれを喜んでくれる方もいる。池の水面に映える龍安寺の燃えるような紅葉のことが思い出された。
龍安寺が秋に染まると、静けさと霊性がさらに深みをます。
太い木の中で蠢いていた 太い生命が その深い霊が
龍安寺 秋に染まると
龍安寺が染まると - 京都 2018 12 뒤로는 산을 낀 120에이커의 너른 터 료안지 전경 나가는 퇴로 - 교토 료안지 2018 12
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