2012 7 31
写真授業
最近、映画のワンシーンに入りこんだような、アフリカをちらっとのぞき見たような経験をした。金重晩のコレクションに出会ったせいだ。
知人の勧めで写真クラスがあるというので訪ねて行ったところは、新世界が淸潭洞に所有するいくつかの建物のひとつで、その5階にあった。証券会社がVIP顧客十余名に対し‘金重晩の写真授業’を提供しているのもおもしろいが、その環境が新鮮だった。
大きな観葉植物用の鉢と枝の多い木を配して室内に森をなし、鳥たちがさえずりながら頭の上を飛び、アフリカの香りをびっしりと漂わせるマスク、椅子、シマウマの革の敷物などがみえ、本と絵と彼が撮った写真があちこちに無造作にかけられているようでいながら調和があり、天井には平凡な安電球が白い鳥の羽を翼をつけ、まるで私の肩が飛んでいるかのように心が浮かれ、どこを見ても興味深い。
金重晩は6つのイヤリングといくつかのブレスレット、マフラー、チョコレート色の靴、そして全身のタトゥーという姿で現れた。一分野の大家の話はいつでも聞く価値がある。
彼の人生経験、学びと思考は独特でありながらも普遍的な平凡さがある。私はたくさんの質問をした。カメラを失くしてしまい今はケータイで写真を撮っていると恥ずかしげにいうと、驚いたことに彼は新しく買う必要はない。ケータイのカメラもすばらしいと言った。
そして、胸にひびく話をひとつしてくれた。 写真作家として自分はTVドキュメンタリーのインタビューを最も多く受ける者だが、一度MBCの環境ドキュメンタリーで20名のチームとウランバートルからゴビ砂漠に向かったことがある。二日三日と行っても行っても美しいものなどひとつもなく、目に入るものさえなかった。半月間の横断なので、ともかく行けば何かが出てくるだろうと思って歩いたが、ずっとそんな調子だった。失望しているところに、ある日他には誰もいないと思っていたここと、全世界の砂漠を旅しているというフランス人夫婦と出会った。フランス語を話す東洋的な顔に言葉をかけてくるので、「いったい美しいものなど何も見えやしない」とぼやくと、「美しさとは何ですか。あなたはいったい何を基準に美しさを見るのですか」と言った。
そこでちょっと考えてみた。私に見えていないものは何だろうと。そして悟った。
ああ、ゴビ砂漠は砂漠だと最初から勝手に思い込んでいたなあと。内蒙古の砂漠、埃だけが飛び交うただの陸地に対し、そんな悟りをもって接すると、半月ぶりに初めて石ころが目に入り、美しさが見えるようになったという。
予め決めずに見たそのままを受け入れれば、どんなにつまらないものでも異なって見えるようになり、そこから美しさが誕生するのだ。絵葉書の写真のようでなくとも、たとえ見栄えのしない木でも光と構成をとらえて撮れば、それを見る者には美しく見えるはずだ。どのように、そしてどのような物差しで見るのか、どこから出発するのかが重要なのだ。
では、本当にこの世で美しいというところに行ってみたとしよう。 たとえば、アフリカの樹齢300年の木が数百本あるところに行ってみれば、その美しさというものも徐々に消滅しかかっているということを感じられる。
いったい、美しさとは何なのか。 先入観と偏見を捨ててしまえば、どこでもどの瞬間でも何でも美しいという考えは、なんと美しく新鮮だろう。
私は去る7月12日にクリスチャンTV局であるCBS TVの1時間インタビューで、‘詩とは何か’という質問をチェ・イルド牧師から受けて瞬間あわてたが、「神様を描写するいろいろ言葉がありますが、私は神様は美しさだと思います。詩は美しさです」と答えた。
アフリカで生まれたという彼の幼少期と思考は、いったいどのように形成されたものだろうかと少し離れて考えていたとき、彼が近づいてきて私にこう語ってくれた。 父はアフリカのたくさんの人々を治療しながらも癌で亡くなったが、その父が私に残してやれるのはわずか2千ドルだけだといったとき、本当に父が誇らしかったと。トラックで食べ物を売り歩いた母親の話もした。
写真作品ひとつに何万ドルという値がつく芸術家の魂の値は、つまりはそういうものだった。
70 坪のスタジオは、彼の異色人生のコレクションと奇抜なアイデアに満ちている。お金をかけた痕跡はどこにもない。ふと、片隅の床に集められた石が目についた。
文章を書き、詩をつくり、亡き母の心を尋ねながらその愛を伝える仕事には収益がともなわない。名品にはそんなことをしないが、旅先の水辺に可愛らしい石があれば、私はそれをひろい手のひらにのせてながめ、それが語ろうとする言葉を聞こうとして持ち帰った。
バイカル湖、イギリスのネス湖、沖縄、甫吉島などに行って来ると、詩集もできたが、波にもまれた愛しくも美しい石のコレクションもできた。まわりは、何でそんなものを持っているのか、すてろと言った。
何かを語ろうとする彼のゴビ砂漠とその人生の痕跡が沁みこんだ石たちをながめ、ずっと昔のわが心の石を思い出し笑顔になった。
同じ趣味の彼を思い浮かべるのは微笑ましいことだ。
激流が 粗い石を削るように 苦難が心を削るだろう
憐憫の眼差しで 削りに削られた石ひとつを を見る
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