京都には古い喫茶店がたくさんある。
聞いたところでは、日本全国で喫茶店が最もたくさんある都市だとのことだ。
小さな都市なのになぜかと思ったら、昔から朝、出勤ついでに喫茶店によってトーストとお茶を一杯飲む慣わしのせいだという。
韓国はいまやとてつもないコーヒー大国となり、カフェの数もかなりになるが、日本のものをカフェやコーヒーショップと呼ぶのはどうかと思うのは、彼らは彼ら固有の茶を維持保有し、それが主流となっているせいだ。しかし、コーヒーといっても歴史が長く、ネパールや南米等に直接行って住み、コーヒー農園ももちして、その研究は深く、種類も多様で、東洋人の好みに合わせて作るので苦味が少なく手厚い感じがする。
私は普段コーヒーを飲まないので、カフェに行くと何を飲もうかと悩み、柚子茶、花梨茶にしようとしても甘過ぎてそれも避けるので、結局は何の特徴もないものを頼むしかないので、足も遠のくことになる。京都でもよく行くというわけではないが、行けば濃い緑の抹茶やミルクティを頼むか、コーヒーがやわらかいのでときどき注文する。
世界的な都市にしては小さなこの都市に、普段喫茶店とは縁のない者に深い印象を与える喫茶店が指折り数えて七つもあるとは、考えてみれば不思議なことだ。
しかし、それらは勉学を終えた後の旅行中に大学や宿所の近所、私がよくいく東山界隈程度のことに限られた範囲の中のものなので、私が知らない隠れた店もあるだろう。
それでも私のように何度も訪れ、長期滞在もし、好奇心がなくては見えてこないものだろう。
これらのうちモダンなものは一ヶ所だけ。残りの共通点はみな古く歳月の垢が沁みついていることだ。そのひとつが今座っているフランソアFracois だ。
市内北の祇園に泊まり、八坂神社までずっと続く大路を2キロほど歩き、加茂川にかかる橋を渡るちょっと前の右側の路地に少し入ると、その噂に高い喫茶店があり、その前にはとても小さな高瀬川が流れている。
二三度ほど比較的短い五六人の列に並んだこともある。以前は、1時間が過ぎても埒があかないので諦めた。今日も特に期待せずに来たが、とうとう席に座ることができた。
こじんまりとした空間だ。以前諦めたときに感じたのは、食堂の列は長くても回転が速いが、喫茶店の列はちょっとやそっとでは縮まらないということだ。席を立とうとしないせいだ。雰囲気がよければなおさらだ。
私をふくよかに抱いてくれるような中世ヨーロッパ風で、カップルもいるが大部分は女性客で、私のようにひとりで座り、鑑賞したり本を読む男性もいる。おばさんたちのおしゃべりも韓国よりも静かなだけで、とめどもないことは同じに見えた。
長い歴史が丸天井、柱、ビロードの椅子、テーブル、そしてカップにさえ沁みつき、壁にかかったモナリザのレプリカ、フェルメールの‘真珠の首飾りの少女’、ミレーの絵も歳月に洗われ本物のように似通って見える。オレンジ色のまざった黄ばんだ天井と壁はローマのある片隅の壁の色のように渋く、かすかに聞こえるクラシックが雰囲気をかきたてる。
繁華街の祇園からちょっと入ったところにあるせいか、外国人観光客は見当たらず、ほとんどが現地人だ。ほのかに香る歴史と歴史が醸す時間のとろみが息づく空気に顕れている。世界のどこでも、韓国でもそうだが、深みがあり本当に雰囲気があるところは現地人が中心だ。だから、一つの国を何日かで見るというのは、話にもならないことだ。
日本は150余年前、政府か各分野の人々をヨーロッパに送り、文化はもちろん、政治、法律、教育、経済を学び、制度と発想がいち早く先進国となった。そのせいか、自分たちはアジアに属しているのではなく、ヨーロッパの一部だと考えているという話をずいぶん昔聞いた。私の母の数十年前の日本人の同窓生が、自分の国は西洋の一部だと長いこと考えていたとことを告白したと聞いたこともある。
実際に西洋がうらやましがる経済や文化をすべて備えるにいたったことを思えば、そう思うのも無理はないとも思うが、その顔をひとりひとりじっとながめると、ソウルの私の街でいつも出くわす誰それが思い浮かび、間違いなく私たちと同じ顔だ。日本人だけがその事実を知らず、自身と同じ顔つきの私の街の人々のことを知らずにいる。