悪夢だった。
2001年9月11日のニューヨーク、どんな暴力映画といえどもこれほど残忍ではないだろう。
ボストンで大学に通っていた息子が、そのころニューヨークに行くとか聞いた気がして、その日テレビの信じられない光景を見て肝を冷やした。どっしりとした双子ビルが崩れ落ち、真っ黒な煙が天高く舞い上がり、すさまじい灰があたりを覆いつくした。修羅場だった。全世界が驚愕した。その年の息子の大学卒業式で挨拶した名士たちの口から出たのはすべて9・11のことばかりだった。
ニューヨークに来るたびに、その現場を訪ねた。巨大な空き地と化して抉られたそこは、グラウンド・ゼロ(Ground Zero)と呼ばれた。
その跡地についに建てられた 記念建築物(Memorial)と、そのそばの 記念館(Museum)を見た。泊まりがニュージャージーの Fort Lee だったので、タクシーでジョージ・ワシントン橋を越え、長いマンハッタン島の南端まで行くとかなりの料金になった。何年か前、アメリカの免許証の更新をしなかったのでレンタカーも乗れずタクシーで移動した。ソウルのタクシーでは想像もできない巨額だが、‘生きていること’に感謝して二度訪れた。
建築デザイン公募には63カ国から5201件の申込みがあり、‘不在の反映(Reflecting Absence)’というタイトルのユダヤ系アメリカ青年マイケル・アラド(Michael Arad)が採用された。近づいてみると噂通りすばらしい作品だ。8エーカー万坪の土地、双子ビルの跡地に2つのプールがつくられ、巨大な正方形の枠の中に水が滝のように流れ落ち続け、プールの周りの金属板には、亡くなった魂を称え犠牲者2997名の名前がひとつひとつ整然と刻まれていた。粛然かつ神聖な雰囲気だ。
最高のグローバル人材たちの仕事場だった。彼らが味わった苦痛と悲しみ、残された者たちの心情はいかばかりだったか。17年が過ぎたが、それが消えるのに十分な時間とはいえない。それほど巨大な衝撃だった。
私との繋がりはなくとも、同じ人類として涙し、近づいて祈りを捧げた。夕闇が迫り気温も下がり続けたが、名前が刻まれたプレートから手を離せなかった。
そのそばに立てられた記念館(Museum)に長い列について入った。だんだんと地下に吸い込まれていくような素晴らしい建築だ。証明は暗めだが、溶けた鉄の設置物や建物から掘り出した銅像、運動靴、バスケットボール、アイススケートシューズなどの遺品が見え、2997名ひとりひとりの写真映像が壁に映され、彼らを愛する残された人々が、彼らがどれほど愛された者だったかを語っていた。若い人々がほとんどで、結婚したばかりの人もいる。胸が張り裂けそうなシーンをしばらく座って聞いた。
翌日、忘れられなくて再び島の最南端までタクシーを飛ばした。名前の刻まれた金属板の下に水が流れ落ちるのをしばらく見下ろし、たくさんの楢の木(Oak Tree)の間を歩くと、これまで一度も聞いたこともない一本の木を見つけた。マメナシの木(Callery Pear Tree)だそうだ。
よく見ると、周りには楢の木(Oak Tree)が数百本も植えられており、晩秋の黄葉でみな同じように見え、すぐには目につかなかったが、近づくと“The Survivor Tree 生還の木”と書かれていた。ニューヨークにはありふれた木だという。説明によると、災難の当時、木々も倒れ火にまかれて死んでしまったが、枝が全て落ちてしまったこの木を掘り、近くの Bronx 樹林園に写して樹木専門家たちが精誠を尽くして生きかえらせ、何倍もに育て、9年後の2010年12月に本来の場所に移しかえたという。
建物を建てるために樹齢何百年もの木を切り倒す国もあるかと思えば、死にかけた木に心を込めて生かそうとするこんな国もある。2011年の東日本大震災で海岸にあった7万本もの松の木が倒れ、たった1本だけが残った。それすら死にかけていたので全国民が一肌脱いで生き返らそうとしたことを思い出した。
その木の前にオバマ(Obama)大統領が花輪を置く写真が外信によって流され、世界各国の首脳たちはニューヨークに来ると、花輪をもってまずはここを訪れるという。
考えてみれば、死にかけていたものをこんなにも大きく育て上げた精誠もたいしたものだが、死にかけながらも鬱蒼と蘇った木もまたたいしたものだ。人生にはなぜにこんなにも悲しみがあるのかと思わされるが、ここにこのような反転の表徴が立っていようとは、ただただ感激だ。二日続けてここに来てほんとうによかった。
梨の花は咲くかと周りに聞くと、まだだという。何月何日に咲くのかと聞くと、4月末から5月初めに白い花をつけるという。突然内側から力が湧いた。そうだ。人生にはこういう逆転がいつでもあるんだ。そこから始まるものがあるということだ。
私はその花を見たくなった。死にかけていた木から再び命を得て梨の花となって咲こうとは。もしかすると、逝ってしまった人々が真っ白な梨の花となって咲いているのかもしれない。
私はもうただ観光ために、遊びや休養のためにどこかへ行きはしない。しかし、不憫な彼らの魂の傍らで咲く数百万輪のこの花を見に来ることだけは、特別な理由になる。
私はある春の日、102階建ての双子ビルのそばにあって死にかけ、再び力強く蘇ったこの梨の木(Callery Pear Tree)の花がぱっと咲くのを見に来よう。9.11のその瞬間を見つめた一本の木として立ち、その魂たちを守るのを眺めよう。