三千年の歴史 道後温泉 2018 8 12
李承信の詩で書くカルチャーエッセイ
奥道後に汗をぬぐって
今、久しぶりの日本は四国の松山です。 一般的な休暇や猛暑のためではありません。
過去数年、他国での勉強とその記録の執筆、本と映像ドキュメンタリーの制作に追われた日々を過ごし疲れがたまっていました。自分自身へのご褒美に真っ青な地中海でも見せてあげたかったのですが、まだ遠くへは出かけることができないので、近くをあたってみると、八月はどこにも飛行機のチケットがとれませんでした。そのときようやく今が休暇の季節だということに思い至りました。
昨年一月に事故で突然入院して毎日慟哭していたころ、ある新聞に出ていた温泉の写真と記事を希望に、病院の無色の壁に貼り付け、一日も早く飛び出して、入院していただけの期間、熱いお湯につかって、気を滅入らせたものどもを溶かしてしまいたいと思いました。
長く体を洗えないことにも耐えた見返りとして得たものが、日本の四つの島のうち最も小さな、南国四国の松山でした。
人口五十万の小都市松山は、足を痛めた白鷺が岩から湧く熱い湯に傷をひたすと傷が治って飛び去ったという、温泉街であればどこでも聞ける話があるところです。歴史が三千年を越える、日本の数多くの温泉のうち最も古い温泉であり、たぶんここが白鷺伝説のオリジナルであり、他地域のものはこれを真似したものではないかと思われます。そういえば韓国にも道後温泉がありますね。
松島は、千年以上も昔、天皇が道後温泉に寄られたことが今なお話の種であり、さらには東大教授だった日本現代文学の父‘夏目漱石’が、中学の英語教師としていたころに‘坊ちゃん’という全世界数百ヶ国語に翻訳された小説を書いたところであり、十七音節の詩である俳句を革新した‘正岡子規’の故郷でもあります。先進国では、ある小さな町に行っても、こうした人文学的ストーリーが大切にされ、人々の胸に刻まれているのを見ます。
私が何日か泊まった‘奥道後’は、道後から三十分ほどのところにあります。山の中に古びたホテルが一つあるだけで、これといった文化もありませんが、有名な道後温泉よりも水質がよいことが自慢です。
出発の瞬間まで日常に追われ、天気予報も見もせずに来たら、関東の東京地域から広島、岡山といった最近の豪雨被害地を経て、ここ四国まで豪雨に台風と、夜通し退避ニュースが騒がしいです。それを見ると、翌日には台風で何ヶ月も待ってきた私が、どこかへ吹き飛ばされてしまうそうでしたが、朝目をさましてみると、二三時間雨が強く降ったには降りましたが、森に日が射し気温が下がり、ちょっと涼しくなったのが全部です。
私が会ったフランスの国民医師サルドマン(Saldman)の言う健康の秘訣をみると、ひと月に十二回以上交われなどというものもありますが、なじみ深いところとなじみ深いものから立ち去れという文句が目を引きます。
大根のように切ることができない日常を切り、なじみ深いものから去って来ましたが、スマートフォンまで捨てる勇気はありませんでした。しかし、考えてみればそれは、なじみ深いものの最もたるものであり、地球のどんな奥地に行ったとしても、捨て去ったはずのあらゆる親しみあるものを連結するものです。 いえ、この地球を去った後でさえ、直につながり合う何かを私たち人類は必ず作り出すだろうという気もします。
だとしたら、実現可能な健康の秘訣とは何か、生きるとはどういうことか、目まぐるしく変化するこの世で、私たち人類ははたしてどの方向に向かうべきなのか、思い巡らしながら森の中の清浄な水にひたる夏の盛りです。
十年の汗を道後の温泉に洗へ
子規の俳句
道後温泉駅 - 松山 2018 8 時代を行き来する夏目漱石の小説'坊ちゃん'の名を冠した'坊ちゃん列車' 毎時間'坊ちゃん'の登場人物の人形劇が繰り広げられる温泉前の時計塔 - 松山 道後 世界中で翻訳された数百種の'坊ちゃん'が見れる夏目漱石文学館 '十年の汗を道後の温泉に洗へ' 子規の俳句 松山の誇り子規文学館、世界俳句大会が開かれる 山の中の奥道後温泉 七つの露天温泉のひとつ。夜には星がきらめく。
'坂の上の雲' 三年間NHK大河ドラマの背景となった坂の上の松山城 夏目漱石ティーハウスとなった作家の下宿先 – 松山 2018 8 9
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