京都は千百年間日本の首都だった。
京都御所は1869年に東京に首都が移されるまでの538年間、天皇の住む王宮だった。
1653年の火災を最初として、7度も建物が全焼したが、絶え間なく修理がなされ、現在の建物は1855年になってようやく完成したものだという。広大な御所は、昔の面影が偲ばれるさまざまな建物でいっぱいだ。歴代天皇の即位式がここで営まれ、今も重要な儀礼行事はここで行われる。
御所は二十四時間無料開放されているが、天皇が日常生活を営む清涼殿や仙洞御所は一般観覧できないので、宮内庁に申請し許可を得なければならない。
私が御所に初めて訪れたのは、もう何年か前のことだ。
京都に行くときには、最も京都らしい道といわれるねねの道に位置する小さな旅館を利用してきたが、何年か前から部屋をとるのが難しくなったため、代わりに選んだホテルが御所のすぐ向かいにあり、自然とそこを散策するようになった。
そうするうち、散策の足が御所の北門の道向かいにある同志社大学にまで伸び、気づけば、その美しいキャンパスの大学に留学することになった。
今度ソウルからともに京都を訪れたツアー参加者十名が三日間紅葉を見学して帰国した後も、私は何日か京都に残った。
市内の宿泊所を出て道を渡ると、御所公園の南門にすぐ出る。御所公園は二十万坪の御所の一部で、宮廷のある御所にまでつながっている。足が自然とひきこまれ、庭園のように広い公園と御所を歩き、通っていた同志社大学も毎日訪れた。バスでなら停留所いくつか分の長距離だ。見ごろの紅葉も多いときなのに、来る朝ごとに走って行った学校に、癖であるかのように足が向いてしまう。
同志社に通っていたころは、時間不足で学校の真向かいにもかかわらず御所に入ることはなく、塀越しに突き出た大きな木を眺めながら、その長い塀に沿って歩いて部屋まで帰った。
久しぶりに御所の中を歩きながらじっくりと見ると、さすがに数百年の王宮らしく木はすべて見目美しく、気品がある。汚染されていない楓や銀杏の紅葉が鮮明だ。有名な寺刹がそうであるように、宮殿も楓や桜、松の木が主なものだが、真っ赤な紅葉の葉が緑の松を背景に、その色を際立って美しく見せている。
特別な意味のある木や長寿の木には、それを説明するパネルがある。
いつだったか、今上の明人天皇がお誕生日の記者会見にて、「桓武天皇の母が百済から来た方なので、韓国との縁を特別に思う」と語られたことがあるが、私たちの祖先がここに渡ってきて、天皇家の祖となったその歴史を、空がことのほか青い日にゆっくりと歩きながら考えてみる。
ソウルの自宅前の景福宮でもよく歩きながら木を眺めるが、ここ京都御所の木を眺めながら、動物のように動くことができない木がそれぞれの場所でこうして数百年間も生きてきた歴史と、彼らが見つめてきた人間の歴史を考えさせられる。
人影はまばらだが、大きな木の色とりどりの紅葉が滝のように私にふりかかり、右側に見える森は奥深くまでかわいらしい枝と葉が地面に垂れ下がり風に揺れている。何かの黄色い実と柿が枝にぶらさがっている。あるところには小さな本置き場があり何冊かの本が差し込まれている。誰でも自由に見て置いていってほしいという暗黙の表現が微笑みを誘う。
またあるところには、子供たちの遊び場があり、ブランコと滑り台がありもする。千年を越え、歴代の王たちがこの庭を歩いては逝ったが、天を衝くように堂々とした木よりも短く生きては逝く人生の無常さ、権力の虚妄を思い浮かばせる古色蒼然とした宮廷と燦爛と散り落ちる葉を、今日私が残って眺めている。
王の宮廷
王の庭園
青い空
真っ赤な紅葉
そして
今日
皆が残していったものを
私が残って眺める