卒 業
いつかニュースでハーバードの有名な教授が、学生の心理を調査するために学生が選択するコースを一学期間直接体験してみたところ、とてもついていけないほどに大変だったと語ったことがあった。日本で大学コースを履修してそのことを思い出した。
過去の履歴を提出し、相応の客員教授職を申請することもできた。しかし、もう一度学生をやりたかった。勉強と人生はほんとうに難しいものだと悟ったときには既に遅すぎた。
中途で放棄してしまおうかという誘惑に何度か駆られたが、ぐっとこらえて20科目を通過し、ついに卒業となった。英語圏ではない日本で大学を終えることができたことが夢のようで、どんな学位よりも自慢に思った。
その日、弟と友人たちがソウルから来て、卒業式会場の二階の家族席から見下ろしていた。卒業生として前列に座っていながらも、ほんとうに卒業できたのだろうか、ドッキリショーではないだろうかと、そわそわしたが、ついに卒業証書を受け取ると、友人たちも私もびっくりした。
卒業はやはり十分に大人になってからするものだ。かっこいい村田同志社大学総長の卒業祝辞が耳にしみいる。
「いまや同志社は皆さんの人生の大切な一部なのです。卒業の今年はブラジルオリンピックがあり、4年後の2020年には東京で2度目のオリンピックが開かれます。そのさらに5年後の2025年には私たちの同志社は創立150周年を迎えます。その時に皆さんは、どこでどうしているでしょうか。これも是非想像してみてください。その実現のための第一歩です」と語りかけ、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」と問うた、東京大学仏文科教授だった渡辺一夫の‘寛容’と、人材ではなく人物、知識と教育、人品を兼ね備えた国と世界の良心を育成しようとした同志社大学創始者の新島襄の‘良心’に関する話をしてくださった。社会に、世の中に出てそうした寛容と良心の人物になってくれることを願うという要旨の祝辞は、感銘深かった。
こうした素晴らしい言葉を二十二歳の今日の大学卒業生が理解することは容易ではないはずだ。私ももう何年も昔の小学校、中学校、高校、大学、そして留学したアメリカの大学院の卒業式で、恩師たちの素晴らしい祝辞を聞いたはずだ。しかし、いくら思い出そうとしても思い出せない。二十代の同志社同期生たちも、ひたすら与えられた人生を生き、数多くの経験と学びの後に、今のわたしのようにこうした言葉が胸に響くようになるのかもしれない。
ずいぶんな歳になって無謀にも勇気を出して留学し、苦労もたくさんした。今日にいたるまでの京都での暮らしと同志社でのキャンパスライフが走馬灯のように目の前をよぎる。今まで短期の滞在を繰り返して日本をちょっと知った気になっていたが、それは誤りだった。韓国の人々がすぐ隣の日本をどれほど知らずにいるのかも悟った。
一日に何度もその前を通る同志社の二人の大先輩である鄭芝溶と尹東柱の詩碑は、いやが上にも故国を慕わせ、校庭の真ん中にそびえ悠然と抱きかかえてくれた歴史ある巨木たち、総長公館前のわたしが名づけた五本の‘愛の木’は芽吹く新芽のひとつひとつが愛らしいハート模様で、わたしが近づくたびにヒラヒラと手招きするように揺れ、わたしを微笑ませてくれた。
チャペルではよく祈祷し、足の赴く建物のひとつひとつを利用した。校内食堂やベーカリー、あるいはカフェでわたしの横に座った日本の学生さんたちは、わたしの即席家庭教師になってくれた。おとなしく、献身的なわたしの二十代の恩師たちはもちろん、手助けしてくれたたくさんの日本の学生さんたちの親切な教えが、今日のわたしの卒業を可能にしてくれた。
本屋とコンビニの店員たちが、幼い学生たちに終日何度もお辞儀するのを、興味深く眺め、夜遅く図書館を出て校門に近づくと顔を合わせる守衛さんが、「お疲れ様でした」と声をかけてくれる。その声を聞くと、わたしが疲れているのをわかってくれているようで、一日の疲れがその場だけでもほぐれるようだった。くちびるから出る言葉の一言が、こんなにも貴いものであることをいつも感じる瞬間だ。
図書館が閉館日のある夜、校門を出ると右側に千百年の天皇の居所である御所が、誰でも入れるように門もなくたっている。左側の大学のキャンパスの塀をはさんで約十分ほど早足で行くと、路地沿いに伝統市場があらわれ、そこに六畳間の我が家がある。狭い扉と台所の角にぶつからないよう注意して入ってかばんをおろし、窓辺に十いくつか置いた小さな花瓶の花に水をやる。
着替えて外に出ると、そこには月の光にきらめく鴨川があり、しだれ柳と桜の木がずっと続く川辺を歩き、七十年前に同じ川辺を歩いたはずの詩人鄭芝溶のやるせない悲しさを思った。
週末にはときどき課題をもって電車で鞍馬温泉に訪れた。春や秋に京都市内の由緒あるお寺の世界最高級の庭園を歩くと、わたしの国からは消えてしまった千年前のわたしの国のにおいがした。五千年の歴史で唯一海外に本格的に広がった韓国の文化だ。
どこにいてもそうだが、一日は長かったのに、時間が過ぎてみればあっという間の歳月だ。しかし、それは実に意味のある時間だ。
四季にわたって日本の姿と思考をながめ、海を隔てたわが祖国のことを考えた。専念前の韓国の歴史が宿る古都、京都の大学である同志社で、言語の習得と偉大な価値の遺産である文学に接し、一行の古代詩、万葉集の短歌とその心を少しだが韓国語に翻訳もしてみた。ここで学んだこと、悟ったことがわたしの認識の地平を押し広めてくれることを願ってやまない。
千年を越える善隣関係があり、近現代の三十五年間には国が国を支配し開放される関係があり、最近何年間かは霧の中の二つの国の関係がある。
互いの生存のために必ずや解かねばならない課題、互いに異なる文化、人、思考と発想を調和させる未来に導くために、隣国の空間に身を寄せたわたしの体験が、わずかでも役立つことを願ってやまない。
晩学の卒業に
過ぎし日の卒業を思う
引き返すことのできない歳月
わたしたちはどこで何になり再びめぐり逢うのか