日本古典文学 万葉集 2016 5 26
萬葉集、古典を勉強して
2011年、東日本大震災による津波がおき、歌人であった母の詩心を愛してくださった日本の人々のことを思いながら、夜を明かしてその心を表現したわたしの一行詩が話題となり、日本のさまざまな場所でスピーチや朗読をする機会がありました。
そのたびごとに、日本をもっと勉強しなければと思わされ、こうして晩学ながら京都の同志社大学で日本語とその文化を勉強することになり、一定の水準になると、自信が望む科目を選べるようにもなりました。
わたしは文学と読解と文章論を選びました。ところが、文学は当然現代文学と思ったのですが、ゴマ粒のような科目説明をもくに読みもせずに選んだところ、なんとこれが日本の古典文学、それも日本文学の宝の中の宝ともいうべき万葉集の授業でした。千年以上の昔、千二百・三百年前の古語が混ざる圧縮された一行の文学を、ソウルで日本語学院に一日も通ったことのない者がどうしてついていけましょうか。
二つのことを考えました。 まずは、20科目を優秀な成績で通過しなければ大学を卒業できないが、この日本文学のせいで当然はじき返されて通過できないだろうということ。二つ目は、韓国では息の絶えてしまった短歌の唯一の後裔であった母の短歌が、古代万葉集に倣って日本屈指の出版社講談社が出した近現代の優秀な短歌を集めた昭和万葉集(全20巻)に五つとられていることから、そのような縁を偶然ではなく必然的なものとして選べるように機会が与えられたのではないか、ということです。
この難しい古典文学、万葉集を勉強して試験に通る自信はまったくありませんでしたが、最初の授業から素晴らしい作品に接し、指導教授の山村先生の卓越した解釈に夢中になり、90分間の授業に何度も参加してみてると、途中でぬけることができなくなりました。
仕方なく、これは最初に考えた二つのうち、二つ目のことなのだと自らを納得させ最後まで休むことなく皆勤となりました。
古典文学を解釈しながら、現代に同じテーマの現代詩や歌を探し出しては読んだり聴いたりする山村先生の熱情はたいへんなものでした。1400年前、短歌を百済から日本に伝え、教えた短歌歌人たちの心を、誰かがわたしに継がせようとしているのだろうかと、ため息も出ましたが、これも乗りかかった船と勉強に精を出しました。
最初の授業はかの有名な松尾芭蕉(1644- 1694)の俳句
오래 된 연못 개구리 뛰어드는 첨벙 물소리 古池や蛙飛び込む水の音
これのどこが詩なのか、とよく言われる。先生もわたしのように、その平凡な詩をたいしたことはないと考えていたが、ずっと前に同志社文学の師による素晴らしい解釈を聞いてすっかりはまってしまったという説明に耳を傾けてみると、同じ一行の詩が、宇宙の静寂にひたる音と再び訪れる静寂という解釈により、新しい気づきとなってわたしに迫ってくることに驚かされた。
60余名の学生はみなわたしより日本語が上手だが、詩にこめられた人生の深さがあなたたちのような二十歳前後の年でわかるもんですかと思いながら耐えた。
초겨울 찬비 원숭이도 도롱이를 쓰고 싶은 듯 はつ 初 しぐれ 時雨 さる猿 も こみの小蓑 を ほ欲しげ なり也
上の芭蕉のもう一つの俳句のうち、最も重要な単語は何だろうかとの問いに、初時雨、猿、小蓑、と全部を答えたがどれも違った。正解は猿の後ろにある‘も’だった。
肌寒い初冬の山に時雨がふり作者さえ心細く、猿もまたそうだろうと考える、作者の憐憫と同情と共感が垣間見える鋭い解釈だ。その解釈に膝をたたいて感嘆した。こういう授業を受けて、こういう解釈を知ることは奇跡のようなできごとだ。
万葉集は千年以上も前、百済の滅亡を機にその王族と貴族、学者や知識人たちが日本へ日本へと渡って、飛鳥、奈良、京都地域に定着し、文化の核心として短歌をつくって交流し、心を表現してきた歴史、記録、物証であり、それを4500余首に集大成した尊い宝物だ。その詩の多くは海を渡っていった百済人の手になり、それを集大成した人物である大伴家持も百済人2世の渡来人だ。
万葉集研究の最高大家である中西進先生に直接聞いた、百済に由来する短歌の歴史だが、万葉集を研究する多くの学者たちがその深い歴史を知らず、日本古来のものと思われていることが残念だ。
フランスやアメリカに行くと、大学図書館はもちろん、書店にも短歌、俳句のような簡潔で深みのある短詩がときに禅詩とも言われながら、ありふれて手にすることができ、全て日本のものとして知られ日本の格とイメージを高めるのに大きく貢献しているのを目にする。そのたびに、本来韓国のものであった短歌の真髄を、韓民族が知る日が必ず来ると母が言っていたことを思い出す。
古代日本の最初の文学作品である万葉集の詩人は、ほとんどが天皇か当時の貴族たちだ。その代表的な詩の核心とその心を理解しようと、わたしは夜を明かした。もちろん難しいし、試験に落ちれば卒業できないためでもあるが、何よりその勉強が興味津々としたものだったせいだ。
愛の詩、先立った恋人に向けた挽歌、人生と人類を思う心、美しい自然と四季を歌う一行の詩には、わたしたちが全く関心をもたなかった千年前の愛が、この時代の愛とどうしてこうもそっくりなのかと驚かされる。現代と古代が連結され、古代の彼らもわたしたちと同じ感情と感性をもっていたことは、それがあまりに当然なことではあっても、実に驚くべき発見だ。
期末試験のため一学期間全体を範囲として9科目の勉強をしなければならないが、他の科目を後回しにしてわたしは古典文学に集中した。詩の空欄に適切な単語を補わなければならず、有名な詩人の古風な名前とその詩の特徴を年代記とともに覚えねばならず、詩の解釈もしなければならず、頭から火が出る思いだったが、90分間の試験で96点をとることができわたし自信が驚いた。毎週その日の授業の感想を書き、“わたしが地球に残したい一冊の本”という2千字のレポートも書かねばならなかった。
そうして古典文学で‘A’の成績を受けたときには、本当に肝をつぶしてしまった。この科目のせいで卒業できないと思っていたのに。卒業の可能性が開けた瞬間だ。千年前のこの地の祖先たちを称える瞬間でもある。
古代の詩人たちの愛の詩に垣間見える切実な心とその歌を聞き、胸がいっぱいになって夕方の弘風館の文学教室を出ると、照明がおちた古いレンガと深緑の木々のあるキャンパス、そして明るい光をともす月がわたしを迎えた。時空を超越したその瞬間をわたしは決して忘れられないだろう。
애타게 그리다 만난 때에는 다정한 말만 들려주어요 오래 가길 원한다면 恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛しき言尽くしてよ 長くと思はば
뜻하지 않게 그대 웃는 얼굴이 꿈에 나타나 이 마음 뜨겁게 타오르네 思はぬに 妹が笑まひを 夢に見て 心のうちに 燃えつつそ居る
그대 생각에 잠이 드니 꿈에 보였네 그럴 줄 알았으면 깨어나지 말 것을 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
달도 봄도 옛 그대로가 아니네 나만은 변함없이 그를 사랑하는데 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして
최후의 길이 있다고는 들었지만 나의 일로 이리 곧 올지는 생각지 못했네 つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
万葉集から
万葉集の編纂者、大伴家持 万葉集研究の第一人者であり、日本の皇后と歌人孫戸妍の師でもある中西進先生 古代万葉集のように近現代短歌の優秀作品を集めた昭和万葉集。孫戸妍の短歌5首を収録。 インターネットで‘만엽집(万葉集のハングル)’を検索すると孫戸妍歌人夫妻の写真が検索される。 - 2002 ソウル
毎日一番遅く退出する大学生 - 京都同志社大学 図書館 2016 1 24
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李承信 詩人、エッセイスト、孫戸妍短歌研究所理事長 梨花女子大学校英文科、ワシントンジョージタウン及びニューヨークシラクス大学院卒業 京都同志社大学在学中 放送委員会国際協力委員、サムスン映像事業団及び第一企画製作顧問
著書 - 癒しと悟りの旅路、息をとめて、沖縄に染まる 花だけの春などあろうはずもなし、君の心で花は咲く、等
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