2015 6 12
郷 愁
10余年前、京都の同志社大学のキャンパスに尹東柱の詩碑を訪ねた。そのとき初めて韓国の詩人鄭芝溶も同じ大学に通い、すぐその横に詩碑も建てられていることを知った。
1995年、鄭芝溶の詩で作られた歌‘郷愁’は韓国民であれば誰もがみな知り愛している。
広い野原の東の果てに 昔話をささやく小川がめぐり まだらの牡牛が 金色に煙る夕陽の中であくびをするそこ 夢だからとてどうして忘れられようか
その歌が聞こえてくると、私のような生え抜きのソウルっ子にも、小川がくねり流れる故郷の山河が目の前に描かれるようだが、今こうして祖国を遠ざかって聞くとよりいっそう実感される。詩と芸術の力だ。
韓国モダニズム詩の代表格である鄭芝溶の詩は、山水画を見るように抒情的、絵画的で、独特の節制されたその詩語を尹東柱の詩よりも好むものもいる。多くの詩人が彼に影響を受けた。よい散文と信仰の詩を多く残した詩人だ。
その大詩人が1923年から1929年まで京都の同志社大学のキャンパスで、英文学を学びながら詩を書いていたのだ。40年代に私が通った梨花女子大の英文科で教鞭をとったことも今になって知った。彼のことを思いながら小さな詩碑にふれ、その横にたくさん添えられた花束をそろえて手でほこりを拭うと、何か胸がじんとする暖かさがしみわたった。
今、同じそのキャンパスに通い、教室移動のたびに一日に何度もその前を通りながら、我らが国民詩人の二つ詩碑をこうして眺めることができるのは、私にとってどういう意味があるのだろうか。
帝国主義時代の日本で、海の向こうの祖国を懐かしむ詩人の心と詩の魂が切々と響く。
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