2014 2 17
トッポギ
その日の夕方、まさかアメリカの国務長官と市場でトッポギを食べながら、言葉を交わし合うことになろうとは、思いもよらないことだった。
ときどきゆく孝子洞のコムタン屋 (注:牛のスネ、胸部、膝、内蔵と骨を煮て味をとったスープ料理)‘白松’は歴史も古く、歴代大統領も訪ねてくるところで、数十年間主人としてそこを守り続けているお婆さんと元大統領がおさまった写真が母屋の壁にかけられている。
夕食をすませて店を出ると、駐車場の係員がクルマはと尋ねるので、道向こうの通仁市場を抜ければ我が家なのでクルマはないと言うと、市場に大統領が来るそうだと耳打ちした。節日でもないのにどうせ冗談だろうと思い、会う約束はしていないのにと言って笑いあった。
節日には庶民の生活をうかがうためか、大統領が出し抜けに市場に現れて、野菜の価格を聞いたり、写真を撮ったりしたかと思うと、大統領の孫娘が高級ジャンパーを着ているといって謗られたりもするが、これといって特別な日でもないのにいつもよりも警備の数が多いので、どうしたことかと道を横切って市場に入ってみると、米軍の警備員の姿も見えた。
市場の入口で知り合いの区議員と洞長に会ったので挨拶を交わした。 もう何分か待ってみるという区議員とあれこれ地元の話をしていたが、アメリカの国務長官が大統領との面談後に市場に来るらしいというので、そばにいたアメリカの随行員に聞いてみた。
ワシントンからですか。あそこは私の第二の故郷です。今はソウルよりは寒くないでしょと話しかけると、Samというハンサムな青年は‘It's terrible’と言いながらケータイで雪に覆われたワシントンの写真を見せてくれた。考えてみれば、私も何度かワシントンで豪雪のため家の外に出られなくなった経験がある。
どこかで晩餐会でもある様子だが主人公はなかなか現れず、これ以上待つわけにもいかないので立ち去ろうとすると、もうすぐ到着するとハンサムな随行員が教えてくれた。
すると、待つともなく銀色の髪の毛と空色のネクタイをしめたジョン・ケリー米国務長官が、ソン・キム大使に案内されながら、私の前につかつかと足をはこんできた。すると大使は国務長官に私のことを、ワシントンに長く住み、ジョージタウン大学を卒業したと紹介した。
アメリカ人特有の純朴さと大らかさを見せる国務長官は、それはいつのことですかと優しく語りかけてくれ、私はたまたま持ち歩いていた英語版の母の歌集を差し上げた。
果物屋の前にくると、ケリー長官はこの果物はどこから来たのかと問いかけた。店の主人がこれは中国とチリ、これはアメリカからと答えると、彼は微笑んだ。
そのあと通仁市場の名物である油トッポギの二つの店のうち、ジョン婆さんの店の前に立ち、(私が見ても辛そうな)赤色と乳白色の差は何によるのかと問うと、ジョン婆さんはそっけなく、赤いのは唐辛子粉、乳白色は醤油で味付けしたものだと答えた。
キム大使が値段は聞かなくてもわかるとでもいいたげに、ポケットから六千ウォンを現金で出すと、ジョン婆さんは慣れた手つきで二種類のトッポギを皿に山盛りにしてくれた。
ケリー長官は一口味見をして、“good, this (red one) is good too”と言ったが、手にした皿の中身をそれ以上食べようとはせず、といってそのまま皿をおろすのもちょっとどうかといった表情で救いを求めるように回りに目を走らせたが、翌日の朝刊では「とてもおいしいといって感嘆詞を連発した」と書かれていた。
ケリー長官は、ブッシュ候補に対抗して民主党の大統領候補としてアメリカ全土を駆け回った人物であり、コミュニケーションにも長けている上に、今はアメリカの国務長官として全世界二百ヶ国を相手に随時国益を調整し、アメリカの力を見せつけている強大なグローバルパワーマンである。
そんなケリー長官がカメラの前でじっとしていたり、“bad”などという言葉を言うはずがない。私もアメリカでテレビジャーナリズムを勉強し、長くその仕事に携わってきたが、日常的な言葉も誰かがそんなふうに書けば、全国民がそのように信じてしまう。
青瓦臺で韓国の大統領に、当面の懸案として北朝鮮の核問題及びアメリカとしてとても気がかりな日韓関係があることを伝え、四月の日本滞在を辞してのアメリカ大統領の来韓に先立ち、危険水位を超えそうな日韓関係を改善するよう積極的に仲裁するために来韓したケリー長官に、短時間のうちに何か韓国的な文化を見せようとして、青瓦臺のそばのこの市場訪問というスケジュールが組まれたのだろう。
こんな時間に私がそこにいたのは偶然だったろうか。午後八時半。随行員の一行とカメラ記者たち以外に一般人はほとんどいなかった。
アメリカで過ごした二十余年、祖国と生まれ故郷のこの町を偲び続けた。今この町でジョージタウン大学に通っていたころ、市内に向って歩いてゆくとホワイトハウスがあり、いつもその横のアメリカ国務省(U.S. Department of State)の前を行き来していたことを思い出す。
そこからきたケリー長官とこの町のお婆さん。何のつながりもない東洋と西洋の二人がトッポギを前にして向い合っているのを見ながら、私の人生の二つの時代と、私が愛する太平洋をはさんだ二つの空間のことを思い、二つの国の長い縁、私との縁、そしてケリー長官に手渡した歌集の中にある平和を望む切実な一行詩のことを思う。
切実な望みが一つ吾れにあり諍いのなき国と国なれ
One desperate hope that i hold dear May countries be without the strife
孫 戸 妍
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