2014 3 25
奇跡の一本松
誰もが希望を持っている。
東日本を津波が襲った後、世界的に有名になった一本の木がある。 太平洋沿岸の海辺にあった七万本の松の木は、あの瞬間みな波にさらわれてしまったのに、たった一本だけ生き残ったためだ。その木は二千名の人命が消えてしまった陸前高田市にある。
地上波テレビで見れるそのすらりとした木が希望の象徴となり、その一本の木が最後まで生き残ることで、自然災害がおさまり、行方不明になった愛する人々が戻ってくると信じて、皆が自身の願いをのせて祈った。
その瞬間、オー・ヘンリーの短編小説“最後の一葉”を思い出した。あの窓の外に最後に一枚残った木の葉が散らなければ、自分も死なずに生きることができると信じる少女のために、画家は葉が全て落ちてしまった木の枝に、絵に描いた一枚の葉を夜通しゆわえつけて自らは死んでしまう。
陸前高田の一本松は偽物ではなく実際に生きていることが異なる点だ。 しかし、何か月かが過ぎ、木に浸み込んだ海の塩分のため、その希望の象徴も逝ってしまった。その知らせに接した瞬間、自分がオー・ヘンリーの最後の一葉のことを思い出したせいではないかと思った。
胸にともる希望の灯を消すわけにはいかないと、これを惜しんだ日本国民と世界から寄付金が寄せられ、芸術家たちの力と智恵を集めて、この木を生きた造形物としてつくり変えた。
私はその希望を見たくなった。 その日の朝、気仙沼市での朗読会のために出発したが、市のあちこちで3・11記念行事のため道が混み、運転してくださる福原幹夫教授も、これはもうあきらめるしかないと言う。東日本の太平洋域の被災地は縦に長く、どこへ行くにも遠い。
しかたなく朗読会のことはあきらめたが、気がつくと福原教授がその一本松のあるところまで連れて来てくれた。駐車場からはこじんまりと見えた木が、かなりの距離を歩いて近づくととても大きな木だった。高さ三十メートル、幅八十センチ、樹齢二七〇年とのことだ。
どれほど困難でどれほどお金がかかろうとも、生き返らせなければならないという意志には頭が下がる。死んでしまった人もそのように生き返らせることができればどんなにいいだろうか。
本来の姿は知らないが、大きな空と広々とした海と果てしない大平原、そこに一本の大きな木が立っている。一歩一歩近づきながら向いあった。数知れぬ人命と心と木が奪われたその歴史を見つめていた木だ。
その日は3・11の三周忌であり、たくさんのリポーターたちがマイクを持って中継している。外国の放送局の姿も見える。この木をテーマにした演劇や公演が行われたという。証明装置があるのをみると、夜空を背景としてのライトアップも行われるようだ。
この海岸では千年前から松の木を防風林として植えた。私の詩の朗読会に来てくれたある青年が、自分の祖父の祖父はその松の木を植えたと語った。もう一度七万本を植えるために、すぐ隣の低い山を削り、津波でえぐられた海岸を埋める工事の真っ最中だ。
この奇跡の木一本で、この地域はいつかたいへんな観光名所となるだろう。 たくさんの人々が希望のストーリーを訪ね求めてくるだろう。 なにもかもが消え失せてしまっても、自分だけは、自分の希望だけはあのように青々と生きているようにと、あの大きな木を眺めながら、そのような奇跡を夢見ることだろう。
人間は目に見えない神を敬い恐れるが、厳しい試練に生き残った一本の木を目にして、その霊を希望として頼りたがりもするのだ。
だからこそ人間だ。
そこにある感動のストーリー 世の中に満ちる感動のストーリー
見る目聞く心さえあれば
一本松とその後ろの潰された建物、右は津波直前まで立っていた七万本の松の木
三年前、この町の歴史を見つめていた‘奇跡の一本松’ この日は空がとても青く、木も大きく見えた
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